妄想北斗の拳

妄天の拳です。北斗の拳のイフストーリーを南斗聖拳シンを中心に妄想してます。

レイ.29

息つく暇もない。
そんなセイランの烈しい攻めを、俺はギリギリの間合いで躱し続けた。

奴の動きは直線的で、その速さを無視すれば単純で読みやすい。
だが、速さを無視できるわけは、、当然ない。

ひとつひとつの移動ごとに十字斬を放つ攻撃主体の南斗鵷鶵拳、、、、
六聖拳と比較しても決して劣らない流派。流派だけではない。セイランの拳士としての能力も、六将に並ぶほどだ。
これほどの男を自分に忠実に従えるサウザーの度量の広さが察せられる。


セイランの動きは読めるが、スキを突けるほどではないという現状。

トキなら?
トキなら、この男の拳も流せるだろうか?

しかし、今の俺がトキを真似たところで、それはリスク以外の何物にも当たらない。

今のところ、奴の猛攻を躱してはいるが、決して余裕を持って躱しているのではない。回避に専念しているから、、、
いや、正しくは防戦一方に追い込まれているのだ。

ビシュ!
鋭い氣刃が頬を掠める。

このままではいずれ捕まる。
かと言ってもちろん、俺とてただ回避に徹しているのではない。追い込まれながらもセイランの攻め疲れを待っているのだ。
疲れが出れば必ずその拳は雑になる。そこを突けばいい。文字通り突けばいい。
だが、この男セイラン、、、手強い。
逃げ続ける俺を、言葉で挑発したり誘導したりとはしてこない。
プロフェッショナル、、、そんな言葉がよぎる。
実力では将クラスでも、この男はサウザーという絶対君主に、恐らく盲従している。
自分で考えることを放棄し、一つの役割に徹しているのだ。こんな男が、その唯一の役割である「この場」に力を発揮しないわけがない。

シュバ!!
ガッ!
「くっ!」

俺は足元に倒れている錆びたゴミ箱に足を取られた。
ユダが「あちら」の世界で言っていた通り、俺の南斗水鳥拳の奥義は、脚にある。
逆に言えば、脚を崩されれば南斗水鳥拳はその威を失うのだ。
故に、戦闘の場となる地面の様子は正確に把握しなければならない。もちろん、それを怠ってはいない。
だが場合が場合だ。それほどセイランの攻めは烈しく、俺のミスを招いた。

俺は体勢を崩しながらも地に手をついて、それを軸に半回転し、奴と間合いを離す。
追撃を恐れ、俺は伝衝裂波の体勢にはいるが、それは来なかった。

こちらの意図を読んだか?
それとも、ついに疲労が来たか?来ないわけはない。

気に入った。
疲れを誤魔化す話術を用いない。徹している。随分と頼もしい南斗が、六聖拳以外にいたものだ。

だが、、そろそろこちらの番だ。

この男の休みのない猛攻のお陰で悟ったことがある。
俺はなんとか奴の拳を流そう流そうと試みていたが、相手の拳に触れて、その勢いを加速させてのスキを討つ、、ということが柔の拳ではない。
湖面を滑らかに進むのだ。滞りのない柔らかい動きを以って、寄らば引く、引かば押すの絶妙なる間合いを支配すること。
これこそ南斗水鳥拳に必要な柔の拳技だ。

そして、、、
少しでも「あの境地」に至るのだ。あの時の俺ならセイランでさえ圧倒できる筈だ。

既にこの場の地形とガラクタの配置は詳細にまで記憶した。しばらくは目を瞑っても不自由ないほどに。
そしてセイランの猛攻が故に欠いていた冷静さも取り戻して来た。
輸送車に閉じ込められている子供たちの悲しみと不安と、そして人外の二人の戦闘に恐怖している感情が見えてきた。
背負ったままのバックパックにも、漸くにして思い至る始末。
中身は軽く、主たるものはと言えば双眼鏡程度だったが、大して重くない物でも、スピードに乗るほど枷(かせ)にはなる。
だがセイラン、奴は俺がバックパックを置く数秒を許してくれた。
プロフェッショナルだけに、その矜持もそれなりだ。手段選ばずの現場の工作員とは流石に違うか。

セイランの向こう、この俺たちの小休止に合わせて漸く踏ん切りがついたのか、機能を失って久しい家がわりのクルマから一人の老人が逃げ出したのも見えた。


ここから次のラウンドだ。

「、、、、」
この乱世に「覇」は必要という理屈はわかる。だが、それなら俺は乱世を鎮める「王」を求める。

サウザーのやり方を肯定することはできない!

「セイラン! 今度は俺の番! 退かぬなら斬り捨てるのみ!!」
「退く?だと? 知らんのか? 聖帝に、、後退はない!」
「、、、いいだろう」

バックステップ。奴との距離をやや広げた。奴の一歩の間合いは既に見知った。この距離なら奴でも一歩では届かない。
もちろん、俺にとっても同様なのだが、奴が距離を詰め、俺たちの間合いを割ったときに迎撃する。
俺はそうと決め、雑念から心を離すべく努めた。

、、、、バカじゃない、、流石はセイラン。不用心に近付くバカじゃない。流派の力だけで強者となったわけでは、やはりない。サウザーの片腕と名乗る男。
既に奴の呼吸も元通りに調っている。

互いに間合いの機微を伺いながら動けずにいた。なるほど、奴の猛攻が止んだのは疲れだけではない。
速さに任せただけの拳では、俺に通用しないことを学んだのだろう。


「俺は無駄と思われる疲れを否定しない」
「なに?」

無駄なことを話さないと思われたセイランが不意に言い放った。

「落ちぶれても流石は南斗水鳥拳のレイ。俺のこの連撃を見切ったのはお前がはじめてだ」
落ちぶれただと? しかし女の振りをして野党どもを呼び寄せていた事実が俺を黙らせる。

「というよりもだ、我が敵は全て一撃で葬って来た。よって疲れるほどに連続で攻め続けたことはかつてない」
「、、、」
「ありがたい」
「!」

この男、セイラン、、、自らの役割に徹するプロであり、そしてやはり真の武芸者か!

疲労こそが自身の拳にある無駄を教えてくれる。何度もキサマに空振りさせられたお陰で我が拳さらに高まった」
「、、、何だと?」

それを聞き、俺は無意識に防御主体の構えへと移った。

「我が南斗鵷鶵拳は最強の南斗鳳凰拳の流れを汲む。南斗鳳凰拳同様、、、」
と言いながらこちらへ向けてゆっくりと踏み出した。
その固い表情が語る。奴も、この間合いを割ることに大きな危険があることを重々承知なのだ。


「、、攻撃あるのみ。前進し、そして敵を制圧する!」

シュ!ドン!

セイランは、やはり十字の斬気を盾に詰めて来た!
しかし、飛ばす裂波ではないため、十字斬の効果は短い。効果の切れ際を読み、俺も出る。

スッ!

自分で驚くほどに身体は軽く、柔らかであった。
試行錯誤を繰り返した結果がここに、急に出たのだ。修練を続けた成果が、この強敵との対決で遂にオーバーフローした。
そして、奴を真似たわけではないが、俺も両腕を交差させ、そこから、、、

ブヒュア!!

十字に斬るではなく、真横に十本の裂気を斬りつけた!

既視感!!

トキがラオウ剛拳を引いて躱すことに専念していた状態からの一転! 間合いを詰めて一撃を放ったあのシーン。
シチュエーションは違えど、本質的には同じだ!
そして!!
自らの拳が「あの時」に近付いた感覚がある。

バシュッ、、、
俺が後にしたその空間に血の飛沫が舞った。
手応えは確かにあったが、これまでよりも軽い。あの時に近い感覚だ。
だが、わかる。あの境地には、あの状況でないと立てないとわかる。
それでも、「こちら」では起きていないトキとラオウの戦いを観ていたことが、ここへ来て意外にも、そしてやっと、俺の真ん中に経験としてズンと収まった。
そのトキ本人と戦えたのは更に大きい。戦いを通してトキは、南斗の男であるこの俺に技を無言で伝授してくれた。
今の俺に起きた変化、これは革命的な出来事と言えるだろう。決して大袈裟な言い方ではない!


もっとも、、、
それは全て「あちら」での自身の経験有りきのことだ。
今は「境地」に立てなくても、その記憶はある。この世のどこでも起きていないあのことの記憶が。


振り返るとセイランの左手の指、小指と薬指が落ちている。それだけではない。俺のもう片方の刃は奴の腹にも触れている。
南斗の手が触れるということ、、、セイランが全身を氣で満たしていても、今の俺からすれば豆腐を切るよりも容易い。
だが流石はセイラン、流石の南斗鵷鶵拳。
痛みを感じる暇さえないのは俺も同様。胸から右肩にかけて浅く斬られていた。
肩当てはこの時代のフォーマルアイテム。しかし、南斗聖拳を相手にしてはほとんど無価値だ。

こちらのダメージは僅か。一方でセイランは腹の傷こそ浅いものの、左手の損傷は大きい。
覚悟を決して必殺の間合いを割ったセイランと、南斗水鳥拳の極意を意識した俺の差だろうか。
やはり南斗水鳥拳南斗水鳥拳として、六聖拳の一つに確立されていることには納得の理由がある。

これで俺は、この戦闘において有利な立場に、、、と言い切れないのが南斗同士の死闘なのだ。
ここで燃え尽きても構わない、むしろ本望という意気込みでセイランが、俺を睨む。
油断だけはいけない。

俺は再び、セイランに向けて構えを取る。

139.

どれほどの時を聚聖殿での修練に費やしたか、、、

闇夜の山中、シンは仔細に至るまで自身の修練を振り返る。特に三面拳と共に技を磨いた日々を。

、、、、南斗聖拳に刻み込まれた無念さは事実であろう。
故にシンは、ケンシロウに対してではなく、南斗聖拳の限界を定め、管理していた北斗神拳への憎悪が増す。

ピカッ!

雷光が照らしたシンの髪は光を吸収する黒だった。
憎悪とともに南斗の裂気を両手に集める。黒い闘気が特に指先を中心に集まった。
肉眼でも視える赤黒いガスのような瘴気。

雷光激しく、雷鳴が耳をつんざくような最中、シンは右の突きを宙に放った。

闇が斬る。

空気を黒く鋭い氣が斬り裂いた。
赤黒い残氣がシンの突きの軌道をなぞる。

線が残るため、拳の筋が見切られる、、、
そんな心配は無用だった。
その速さはシンのこれまでに突き出したどれよりも、そして見た如何なる突きよりも上だったからだ。

次いでシンは呼吸を調え、その場に立ったまま深い瞑想に入った。
脳内で自分にできる全ての拳技を思い描く。その全てがかつての自分を大きく、そして赤黒く超えていた。

だが、、、

シンは魔界になど堕ちてはいない。


バルバが案内した先人たちの血と呪いが染み付いた古の修練場、、
彼は予想を超える経験を得ていた。
バルバは北斗神拳をより憎悪するためにと、考えたであろう。
その意に反して、彼が見たものは、、、、、

カッ!!
更に激しい雷光が山間の向こうまでも照らした。

ドクン!!
「!!」

「あれは!?」
ガゴォ!!!!
鼓膜を破るような豪音が、誰も聞く者のいないシンの言葉を完全に掻き消した。

「何故、、ここに」

見紛うわけはない。あんな巨馬は他にない。そして、その上に座している男は奴以外に考えられない。

ケンシロウ!」

暗殺拳南斗聖拳、、、常住座臥戦いの中にある。「今はダメだ」なんて言葉は通じるわけがない。
しかし、、、
唐突がすぎる宿敵の登場には、流石のシンも動揺を隠せなかった。

堂々と追えばいい。
そう思いながらも、シンは気配を消してケンシロウに追い付くため、速足で歩き出した。 

確かめたいことがある。
どうしても腑に落ちないことがある。
それが確信できないことには戦えない。

追われる男が北斗神拳でも、追う男は南斗聖拳。幸いにしてか、魔界に堕ちていない彼からは勝手に溢れ出る赤黒い氣はない。
闇夜の豪雷が気配を消してもくれる。

それでも十分に距離を取ってケンシロウを追った。
、、、どうしても確かめたかった。

それにしてもだ、、、

「、、、」

巨馬に跨り雨に打たれるケンシロウからは、地上最強の拳士の片鱗など微塵も感じられなかった。
むしろ、とぼとぼと馬に揺られる力無い姿からは、まるで孤独な囚人といったような印象しか伝わって来ない。

あれがサウザーラオウ、そして魔神カイオウとやらを倒した闘神の化身と呼ばれる男なのか?
北斗神拳伝承者なのか?

「ん?」

巨馬が歩みを止めた。
勘付かれたか?
その直後だった。

「うっ、、ぐう、、胸の傷が!」
突如、彼の背中にまで達した北斗神拳による深い十字傷が疼いた。
それはすぐに強い痛みに変わる!

「うぐぐぅ!」
文字通り胸が張り裂けそうだった。
あまりの激痛に意識が朦朧として消えかける。

ドゴォ!!

すぐ近くで発せられた雷の一閃がケンシロウの背中を照らしたのを見た。

(奴にも異変が!?!?)

バリバリバリ!!
ドゴォ!!!!!

、、、、続く豪雷がシンの意識を真っ白な無へと連れ去った、、、




、、、

、、、、視線を感じる、、、

「は!?」

ガバッとシンは気絶状態から身を起こした。
泥色の野ウサギが慌てて逃げて行く。視線はそれのものだったようだ。
頭がズキズキ痛み、聴覚も完全ではないが、それらも徐々に回復してきているのが感じられた。
先ほど激痛をもたらした胸の十字傷にも、今は特段これといった変化は見当たらない。

「俺は何故ここに?」

記憶の混濁も起きていた。

「! そうだ、ケンシロウ!」

シンは既に明け方の小雨の中、ケンシロウを探した。
崩落した一角、その端に大きな黒い塊がある。
近寄ると、それは予想通り、巨馬黒王の亡骸だった。真横に倒れたその巨体からは生命の小さな反応も見当たらない。

「、、、、ケンシロウは!?」

見事なまでの巨馬黒王の亡骸を放置するのには気も引けたが、今はケンシロウを追うべきだ。黒王は宗家の者たちに任せればいい。
北斗憎しのあ奴らに任せるとなると、その背を許した者が北斗の面々となれば、馬刺しにでもされるだろうが、それは禁じればいい。

シンはケンシロウの足跡を探し、暫くして不規則な歩みの跡が続いているのを見つけた。その後を追う。

「!」
100歩も行かぬ内にその足跡は崖へと続き、そしてなくなっている。その先は一気に急斜面だからだ。
ここから転がり落ちたと思われる跡も残っている。

ズザザッ、、ザザッ、、

シンは崖を滑り降りてケンシロウを探した。崖は直角に切り立ってはいない。だが、かなりの急斜面だ。
さっき見たよれよれの足跡から考えれば、ケンシロウの状態も普通ではない。
崖からの落下で命を落としてはいないか?

急な斜面が終わりを迎えようとしていた。
その先はまさに断崖絶壁!
ケンシロウであっても、ままならぬ状態で落ちていれば命はない!

最強の北斗神拳は崖から落ちて、その幕を閉じるのか?


「ふざけるな!ケンシロウ!」

こんなところで死んではおるまいな!
俺は北斗神拳を、キサマを超えるために拳を磨いたというのに!

「!」

だが直後に、シンは幸いにも木の幹にかかり、それ以上の落下を免れていたケンシロウの姿を認めた。

ケンシロウの生存を知り、不思議な安堵感に浸るも、それは一瞬。シンは気絶したかつての友を肩に載せて急な斜面を逆に登り始めた。
肉体のみの力では救出も困難が故、シンは南斗聖拳の氣を解放した。にもかかわらず、ケンシロウの意識は戻らない。
山道に戻っても同じだった。
シンは気絶したケンシロウの背を岩にあずけて座らせ、その様子を見た。

ケンシロウは気絶していても精悍な顔をしていた。
年月と、そして劇的で特濃な歩みが故か、お互いに変わりはしたが、それでも旧き友の面影が消えることはない。

まさかこんな形で再会するとは、、、
南斗宗家が伝える悪辣で邪智深い北斗神拳という印象は、とても今のケンシロウからは感じ取れない。

果たして、ケンシロウは無事なのか?
気を失っているだけならともかく、、、
いや、北斗神拳伝承者が気絶していること事態が異常事態だ。

シンは多少強引と思いつつも、ケンシロウの状態を確かめる方法を選んだ。

ケンシロウ、、、」

そして、シンは殺気を込めてケンシロウの胸に突きを放った!

シュッ!!
ピタッ、、、
突きはケンシロウの胸に触る直前で止まった。かつて自身が付けた、南斗の傷痕を色濃く残す鍛えられた胸の前で。

だが生憎、、、その突きを止めたのはシン本人だった。

はじめから試すための突き。
だから、ケンシロウは反応しなかったのか?
それとも或いは?

だが仮に本物の殺意には反応したとしても、絶対の利は今シンにある。
だからといって、こんな倒し方をしても全く論外だ。南斗聖拳の勝利どころか寝込みを襲う卑しき拳として蔑まれよう。
その汚名は必ず南斗聖拳の価値と質を損ない、早晩、泰山流や華山流に喰われることになる。
北斗神拳を滅しても、すぐに南斗聖拳もその後を追うことになる。
殺すのが目的ではない。

超えることが目的なのだ。


「表裏一体か、、不思議なものだな」
とシンが呟いた時、、

「うっ、うう、、、」
「!!」

ケンシロウに意識が戻る?
不覚にも心の準備ができていない。
なんと声をかける?
まるで、好意を告げると決めた相手と、曲がり角でいきなり出会ってしまった少女のようだ、と己を毒づく。

そしてケンシロウの目が、、
シンは覚悟を決めた。

、、、開かれた。

「う、、こ、ここは、、、」

その目はまだ焦点が定まらないといったところだ。意識も明瞭ではない。

「うう、、これは一体何が、、、」

ケンシロウの目は確実に、、確実にシンを見ている。

「、、、ケンシ」
言いかけたシンをケンシロウのまさかの言葉が遮る。

「あんたが助けてくれたのか?」
「、、、俺が、、わからないのか?」

その問いに、ケンシロウは不明瞭な意識ながらもシンの顔を見つめた。

「、、、わからない、、、いや、それどころか、、、」

ケンシロウ、、、」
その囁くようなシンの声はケンシロウに届いていない。


「俺は、、一体、、、、誰なんだ?」

 

138.魔神

数時間が経過していた。


バルバは一人落ち着きもなく、目の前の黒い鉄門が開くのを待っている。
そこから離れた石道の曲がり角では、黒いローブを着込んだリハクが遠く隠れるようにして覗き見していた。
事実、隠れていた。

南斗五車星を束ね、慈母星ユリアに仕えていたリハクが、その一方で滅んだ筈の南斗宗家の人間だったと知られれば、
鉄門の向こうから現れる魔神と化したシンには「即断」される恐れがある。
そう判断してのことだった。


「まだ、、、来ぬか」

このバルバの独り言からしばらくして、、、鉄門の向こうに気配があった。
バルバは期待と、そしてある種の恐怖から身体をすくめて、その門が開かれるのを待った。

そして、、、

重い鉄門がゆっくり開く。

黒いガスのようなもの、つまり北斗琉拳でいうところの魔闘気が、下から漂い出るのでは?との予想を立ててさえいた。
その予想に反して、両開きの門はゆっくりと何事もなく開いて行く。暗がりの向こうから門を開けているのは間違いなくシンその人。

 

「、、、、シンよ、、どうであった?」

シンの姿に変化はない。
バルバの予想では人外の魔性、それこそ魔神が現れると踏んでいたのだが、、、

先ほどと何ら変わりがない?

「、、、シン、、ん?」

見間違えかと思った。
彼の銀髪が一瞬だけ真っ黒に染まって思えた。その茶色がかった瞳が漆黒のような影を含んだように思えた。
かの修羅の国の魔神カイオウは、常に魔闘気が溢れ出すため、それを防ぐために鎧を全身に身に付けていたという。

比較するとシンの有り様は至って静かなものだった。
北斗琉拳南斗聖拳の性質上の違いから、シンにカイオウと同様の変化が起きずともおかしくはないが、

それにしてもシンの変化は乏しいと言わざるを得ない。

 

「、、、、」

失敗、、したのか?


「見えた。声を聴いた。話もした」

唐突にシンが話し出した。
一点を見つめるシンの目は、暗い石壁を貫き遥か遠くに思いを寄せているかのようである。

「、、、、シン、、そなた」
「南斗の先人たちの魂、この手にしっかりと受け取った。この両手は、、遂に聖拳となった」
「おおお!!」

歓喜していた。
南斗聖拳は復活したのではない。
今この時に、新しい拳として産まれたのだ!
それも無駄に魔闘気を垂れ流すような無様な魔性ではない、暗殺拳の名にふさわしい洗練された至高の美しい拳だ!
闇で斬る、まことの南斗聖拳に到達したのだ。
闘神、最強の拳、呪うべき憎むべき、あの北斗神拳を破りうる拳が遂に誕生したのだ!

 

、、、との演技をしながら。

 

「だが」
「?、、どうした? シンよ」
「まだ完成はしていない。旅に出る。短い旅だ。それで、俺の南斗聖拳北斗神拳に挑む最後の資格を得るだろう」
「何を言っておる? 資格だと? そなたこそ、北斗神拳を打ち破る拳士ではないか!」

バルバは昂っていた。昂って見せていた。
自分が理想として描いた最強の南斗聖拳のイメージ、、、これまでそれに最も近いのはサウザーだった。
だが、近くても決してサウザーではなかった。

シンはどうだ?

圧縮された黒鋼のよう。
無数の鋼の線条を編み上げ、魔闘気でも到底為せないような強い圧力をかけ、一つの人型に魂と命を込めて錬成された創造の極み。

近い。

近いが、、今一つ足りない。

 

「我が主よ」
バルバは囁いた。

この邪悪で年月を経た蛇の本音は読めない。
いかにシンが魔神となって現れようと、自身の狡猾さで配下に、もっと言えば手駒にできるという思いは少しも変わらない。

おもむろにシンが歩き出した。

「主よ、どこに行かれる?」と言いたくなるのをバルバは堪えた。
あまりに芝居がかっていないか、と。

それにしても決意が見える。
シンの歩みが先ほどまでと異なっている。
いや、この聚聖殿すなわち南斗聖拳創生の地に、シンが足を踏み入れて以来見たことのない、強い確信に裏打ちされた迷いのない歩みだった。
全てが揃った者の足の運びだった。

厳密には全て揃ったわけではないが、流石のバルバもこれには素直に感心しないわけには行かなかった。

バルバだけではない。
隠れて遠くから見ていたリハクでさえ、予想を全く裏切ったシンの変貌ぶりにはただただ圧倒されていた。

「これほどとは、、、このリハクの目をもってしても、、、」

と言い終える頃には、南斗聖拳伝承者シンが、身を潜める彼の前を横切るところだった。
先ほどまでシンに処断されると隠れていたのが、今ではそれをさえ忘れている。

「リハク」
「は!」

とっくに知っていたのか、、、リハクは恐怖でもなく、陶酔でもなく、ごく当たり前のようにシンに返答した。
まさに母星南斗聖拳に仕える南斗五車星然である。

「しばらく一人で外に出る。今からだ。その準備をしつらえろ」



「バルバ帝、、」

リハクは軽い興奮も落ち着き、バルバに問い尋ねた。

「シン様は、何を観たのです?」

狭く暗い石道を二人は並んで話している。本来、リハクと言えど南斗宗家宗主と並んで歩ける立場にはない。
それを忘れている。
興奮が覚めているようで、彼はいまだに浮き足立っていた。
ユリアという絶対的な主人を喪って以来、はじめて仕えるに値すると感じた人物が、あのシンであったという戸惑いの中にもいる。

「先にも言ったが、幻覚だ。幻の南斗の先人たちが、北斗神拳への怨念を募らせ続けている、その光景を見せた」
「それだけであれほど、、、」
「どれほどの屈辱を受けたか、どれほどの犠牲を払ったか、どれほど北斗神拳に奪われ続けたか、、、どれほど南斗の死体を積み重ねられたか、、、
私の予想では、門を開くのは暗黒の極みに堕ちた南斗の魔神かと考えておった」
「あれは魔神とは言い難いものです」

魔神でなかったことが誇らしい。先人たちの無念は無念で受け止め、鋼鉄の意思で自制している。しかし、それは言えない。

「だから驚いておる。だが、シンの歩みが違っていることを、そなたなら気付いたであろう?」

リハクは昔を思い出す。
勝てぬ相手、拳王ラオウが迫る中、最愛のユリアの身を案じ五車星に託し、自身はケンシロウとの死闘に赴くと覚悟した、あの時の凛々しい姿を思い出させた。

何故にあの姿が浮かぶ?

そうだ!
強い決意!
あのシン様のお姿は、死をも超えたその向こうに何かしらの信念を見た者の姿だ。
決して魔神などではない!

は!?
まさかシン様は!!

その思案のスキを突くが如くにバルバが言葉を挟み入れる。

「だがもう一つの仕掛けも、我が盟主には味わっていただこうと思っておる」
「何ですと!? まだ他に!?」

ニィ、、、

「我が盟主はやはり、暗黒の魔神でなくてはならぬ。あれでもまだ北斗神拳には勝てぬ」
「し、しかし、魔神に自身を制することができますか? 暴走する力を制御できぬ者にあのケンシロウを討てますか?」
「技を究めても北斗神拳に勝てぬのだ。よいか? あの憎悪すべき北斗神拳伝承者にさえ真似できぬもの、、、わかるか?」
「、、、、いいえ」
「それが闇なのだ。深淵の暗黒なのだ。北斗神拳伝承者でも辿り着けぬ境地、それこそが怨嗟の果てに到達する、魔界!」

こ、この爺さん、、、狂って、、、

リハクも既に老齢に達しているが、バルバはさらに一回りは上の年齢だ。
闇の深さとなると、一回りどころではない。まるで世界が違う。
もちろん南斗の住人は、「異常な存在」だ。だが、バルバの異常さは意味が違う。

今更ながらバルバの狂気に身震いする思いがした。

 

「先人たちの永きにわたる怨嗟でも、やはり我が盟主の心は完全に変わらなかった」

「は、、い」

(バルバ、、、何を企んでいる)

「白の街は襲撃される」
「な!」
「拳王や聖帝が滅びて久しい。天帝は力を失い何処ぞに隠居でもしておろう。恐怖が敷いた秩序は既にない」
「、、、」

「今や唯一の抑止力、北斗神拳を恐れ暴徒は大人しくしておるが、、、いるところにはちゃんといる。飼われておる」
「どういうことですか?」

リハクが立ち止まって訊くも、バルバは足を止めることはない。

「コウケツが死んで行き場をなくした賊どもを雇った」
「コウケツ、、誰です?」
ラオウの靴を舐めるようにして生き延びた狡猾な男だ。ゴミのような人間だが、役には立った」
「そんな者が、、」
「信念もなく、恐怖には滅法弱い。だが頭は少しばかり切れた。この聚聖殿や街の食糧をはじめとした物資の多くは、そ奴によって集められていた。少し前までは」
「、、、」

リハクの心が痛んだ。白の街の住人は亡きガルダやシン本人にとってさえ大切な者たちが人質として囚われている。
この時代には有り得ない裕福な生活についている筈だ。それを?

「しかし、それをケンシロウの仕業とするには流石に無理が」

バルバを止めんと食い下がったつもりだった。

「もちろんだ」

そしてバルバは低く笑う。

「既に我が盟主の思いは北斗神拳にのみ向いている。ここで心裂かれることがあれば、その悲痛は闇を深めて行き場を探し、北斗に向かう」
「あなたは、、」
「そうよな。北斗神拳めではなく、そうそう、北斗の軍と言ったか。その残党の仕業としよう
重要なのは真実ではない。何を事実とするかということだ。わかるか? 勝者は歴史を「作る」のだ」

(惨劇だ、、、恐るべきことが起きる。
蝙蝠はナンフーを動かせたのか? 急がねばならない。

そんな罪なき命が喪われるのであれば、今更北斗神拳を倒すことに意味などあろうか?
それに、どれだけ宗家が北斗神拳を恨み憎んでも、あのケンシロウには非が見当たらない。

だからこそユリア様が愛したのではないのか?

何故今ごろそんなことを思う?
このリハク、、、いつの間にか闇に呑まれて?)

 

だが、止められない、、、身がすくみ、背を向けるバルバに白刃を突き立てる勇気が出ない。

(しかし、今ここしかない、、、)

リハクは左胸に忍ばせた短刀に手を伸ばした。その時、、、

「リハクよ、、」
「う!! は、はい」
「そなたは南斗五車星で、力においては最も劣っていた。風雲炎山どれにも遠く及ぶまい?」

バルバは僅かに背後に顔をむけているが、その表情は赤黒いフードに隠れて見ることができない。
それが逆に恐ろしい想像を掻き立てる。

「だが五車星の元締めはそなただった。そして今尚ただ一人生きながらえておる。だから、そなたは勝者だ。最後に生きておれば勝者となる」

もう少しで短刀に届く手が麻痺したかのように動かない。
その手を金縛りにしているもの、それはバルバへの恐怖以外の何物でもない。

「そなたの良心など、そんなものよ」

(見抜かれている、、何もかも、、?)

「賢く生きよ。わかるか? 魔神でさえ我らの知恵で操れる」

無力感、絶望、、、、希望は?
希望はケンシロウしかいない。

ケンシロウさん、、、このリハク、、この期に及んであなたしか頼れない)

そんな祈りに近いリハクの思いを、バルバが恐ろしい言葉で切り刻む。

「リハクよ。我が盟主が北斗神拳を滅した暁には、そなたも王族となる。王族は王の食卓にあずかるものだ」

言い残し去って行くバルバの背を見ながら、力が抜けたリハクは両膝を石面に打ち付けた。
巨体の重さが災いし、立ち上がれないほどの傷を負った。自分が老齢であることを思い知らされる。
当分はまともに歩けない。残る余生、足を引きずるだろう。

そんなことはどうでも良かった。

リハクが、かの食卓にあずかる筈はないのだ。むしろ喜んで死を選ぶだろう。
死故に恐怖したのではない。
あの光景が忘れられない。それがまた繰り返されることになるのがおぞましかった。

仮にシンが勝利した場合、この世界を支配するのは南斗宗家となるだろう。
シンを盟主と崇めつつも、その実権を得るはバルバ。
バルバの闇こそ真の暗黒。

既に魔神はそこにいたのだ。
知っていて見えなかった。リハクともあろう者が、事実を直視するのに恐怖を覚えていたのだ。
恐怖という闇に呑まれていたのだ。

リハクはヒューイ、シュレン、ジュウザ、フドウ、その勇敢なる数多の部下たち、そしてユリアに詫びた。

 

ラオウに首を掴まれトドメを待つだけに追い込まれた時、、、
あの時の無力感でさえ、今と比べるなら希望に満ち満ちていたように思えた。

 

レイ.28

南斗聖拳は六聖拳を最高峰とした総勢108派からなる大所帯だ。


ただ南斗と名乗るだけのような流派がある中で六聖拳の力はいうまでもないが、他にも極一部だけ上位の流派が存在している。

その最たるものが、この南斗鵷鶵拳、、、

短めの黒髪を立てた俺と同年代の男。鋭い目をしたその男の名はセイランと言っていた。
流派の力からしても聖帝の副将であってもおかしくはない。ユダと上手くやれているのか?などと思える俺には余裕はある。
場合によっては、つまりこの男の力次第では余裕ではなく油断になってしまうのだが、、、

 

、、、なるほど、、、、

 

聖帝軍は黄色というか金色のつもりなのか、そんな色を軍色にしている。鵷鶵とは、もちろん架空の鳥だが鳳凰によく似た、或いは黄色の鳳凰だとさえ言われている。
俺は、なるほど、とまた心の中で同じ言葉を繰り返す。
セイラン、、、構えるその姿にスキはない。

 

「レイ! まんまとかかったようだな」
「ぅ何!」
「ガキどもを載せてクルマで回っていれば、キサマかメクラがおびき出せると思っていたわ!」

 

タン!!


こういうのは良くない、、、だが俺は友人シュウを侮辱するかのような発言に、血が上ってしまった。

 

「でや!」
!!


俺の突きを読み、セイランは宙に逃げた。身動きの取れない空中に?などとは思わない。南斗聖拳が跳んだのなら、それなりの対策はある。そうと決まっている。


それが南斗聖拳というものだ。

 

ズン!
ズン!
ザン!!


逆十字架のように脚部を真上に向けた、なかなかきれいな下向きの十字架のような姿勢から吐き出した南斗鵷鶵拳の斬撃が地面を刻んだ。
一度瞬間沸騰し、突きを容易く回避された俺は、逆にそれで冷静さを取り戻しており、上からの強力な裂気の斬撃を、俺は三度(みたび)退がって避け切った。


が、直後にスタンと着地するこのセイランには、やはりスキがない。

 

「速いな、レイ。だがその距離からでは俺を捕まえられはしない」
「その言葉そのまま返そう。上からの距離のある斬撃などで俺を討てると思うな!」
「、、、」

 

油断のない冷たい視線。いい表情をする。この手の「悪役」は大抵こちらを侮る言葉を突き出すものだ。
本当なのか、本人が勝手に言っているだけなのか、サウザーの片腕と言うだけのことはありそうだ。
聖帝勢力に南斗聖拳諸派が従っているのは、別段驚くことではないが、それにしてもこれほどの拳士がいたとは。
この一連のやり取りのみで、セイランの腕前がかなりの手練れであることは確定した。


これに加えてユダがサウザー麾下に収まったとなると、、、、

単純に考えてこちらは俺、ケンシロウ、シュウという三人の「斗」がいるのに対し、
向こうにはサウザー、ユダ、そしてセイランという南斗の拳士が、これも三人いる。
ケンシロウサウザーを倒せばそれまでかも知れないが、ことはそう簡単ではないと、俺の南斗聖拳で培った本能が告げている。

 

「うう!?」
ズキン!!


強い頭痛がした。そしてビジョンが見えた。例によってはっきりくっきりと。
ケンシロウサウザーに斬り刻まれている!?

 

「は!」
セイラン!!


セイランは、俺のこのスキを見逃すようなボンクラではなかった。速く力強い踏み込みで俺の間合いを割る寸前だった。
セイランは腕を胸の前で交差させ、そして、、、


一閃!!
こいつ!!鋭い!!

 

俺は、すんでのところで奴の間合いから出て、斬撃をやり過ごした。だが、「ちっ」と俺は苛立ちを口にする。浅く胸が斬られている。

ほんの数ミリだが、ゾッとする感覚が突き上がって来た。
ほんの数ミリといっても、さらにほんの数ミリ深く刻まれていたなら、致命傷にはならなくても不利にはなりかねない。


もっとも、、、


その数ミリを詰めさせないのが、南斗六聖拳の一つ、南斗水鳥拳

 

「セイラン、侮るな。貴様の間合いは俺の間合いでもある」
「?」


と、奴も自身の胸に深さ数ミリの傷が刻まれていることに気が付いた。


「おお、これは、、確かに侮れん。恐ろしい斬れ味だな。痛みも感じさせぬとは。流石は六聖拳」

 

セイラン、、危険な相手だ。だがこの危険な相手を相手にするからこそ、「現場」の技は練り上げられる。
俺は、意識をトキの柔の拳に移行した。南斗水鳥拳とトキの柔拳の相性はいい。そう信じている。
それが間違いでなかったと、少しずつでも自身に証明して来ているつもりだ。

 

しかし、このトキの拳は基本的に「受け」から始まる。

しかもそれは、相手の先手を十分に前以て避け、安全圏に避難する、というようなものではない。
ギリギリまで相手の攻め手に付き合う技量と度胸が必要だ。トキは死人の境地にあるため、故にこそ度胸を超えた達観の境地にいる。
その境地は俺自身立ったことがあるというのに、一度そこから離れて命ある道の上に立つと、再びその精神を取り戻すことは思った以上に困難だ。

 

そんな思いが俺の構えを変える。

 

俺の手は手であって手ではない、刃よりも鋭い南斗の拳だ。二刀を構え、そして斬る。
だが今俺はトキのように両掌を相手、この危険な男セイランに向けている。トキの真似事をしているのではない。
僅かでも相手の挙動を見逃さない、空気の変化さえも見逃さない、という思いが反映されているのだ。
自分の南斗の拳士としての経験と本能、そして覚悟が自然と俺にこの構えを選ばせた。
もちろん、過程だ。俺の南斗水鳥拳はまだ進化の過程にあるのだ。

 

南斗水鳥拳は舞踊、いや武踊の拳と聞く」

耳に届く音は同じ「ブヨウ」。だが字に起こしたときの違いは理解できる。


「その水鳥拳が静止し、俺の出方を待つ、と」

 

セイランは決してこちらを嘲って言っているのではない。自分自身に言い聞かせている。油断も思い込みもしない。こんな奴は危ないと決まっている。


「ならば、、こちらから行かせてもらおう。南斗鵷鶵拳、参る!」
「!」

 

セイランは構えを解き、両腕を下げて堂々と近付いて来る。こちらが受けに入ったからなのか?
俺たちの距離およそ5メートルで動きがあった。だが俺たち南斗聖拳にとっては一歩の間合い。

もう動くのか?という意外さは全くない。


セイランの膝が瞬間的に下がった。いや!それ以上! ほとんど、屈むと言っていい低い体勢。

どう考えても一気に来る。奴の氣は正直で少しの嘘も吐いていない。

 

ズバン!!

 

奴のだらりと下げた両腕が、またその胸の前で交差された! 十字ともエックスとも言えるような微妙な角度の斜め十文字に斬気が光る。
もちろん氣眼でなら見える光だ。
その斬気をまるで盾のようにして、セイランは迫り来る!
しかも、いや、もちろん速い!!

 

これは参った。

南斗の裂波を柔拳で流すことなどでき、、、いや、致死性の高い一撃という意味ではラオウの大砲のような剛拳も同じじゃないか。

 

刹那の逡巡!

 

ダン!

 

十文字斬りを斜め後方に下がって回避! 俺の長い黒髪が数センチほど舞い散った。
しかし、この後が本番! 速い詰めからの突きの速さも尋常ではない! この二つを合わせたセイランの拳速は六聖拳に並ぶ。
だがだ、その詰めの速さ故、一度避ければ僅かに距離が空く。これが奴の弱点だ。

向き直ったセイランが再度俺を殺ろうという氣を全開にして間合いを詰める!


ズバン!

 

まただ。また十字斬りのセット。今度は十字の斬気を真横に移動して回避した。

そこを!


ドシュン!


と鋭い突きが俺を追う。しかし予想通りだ。決して難しい読みではない。十字斬りで先を取り、敵を即ち俺を「後」に回す。
そして直後の突きで後の先を取る。これが南斗鵷鶵拳の極意か。


セイラン、強い。
が、見えている。

やはり六聖拳には及ばない、そんな完成度の低さ、危うさが見えた。


ならばちょうどいい。


トキの拳の実践訓練に利用させてもらおう。
ところが、セイランの拳はそんな俺の予想を超えて来た。俺の読みは甘かった。甘い読みだった。
次のセイランの攻め手も同様だったが、この後だ。

俺は奴の三撃目を、今度は真横左に一歩動くことで躱した。
その直後の突きも知っている。速く鋭いが、来ると知っている今、どうということはない。

その後だ!

奴は俺の回避に合わせて短いステップで追って来た。いや、逃げる相手を追うのだから当たり前?

違う!

 

その小さな素早い一歩の移動でも、奴は十字形の斬撃を盾に俺の間合いを割らんとする。
刃でもあり盾でもある。


俺はそんな禍々しい武具を想像した。

 

もっとも、南斗聖拳の刃はそんな想像上の武具より、よく斬れる。

レイ.27

小高く、今にも倒壊しそうに傾くビルの屋上から頭を上げ、俺は前方を確認する。既に聖帝勢力下の中心部に近い。
堂々と歩いて行けばすぐにでも聖帝兵に見つかるだろう。
その一方で北斗神拳によると思しき遺体はなく、兵士たちにも敵襲来を感じさせるような慌ただしさはない。
流石のケンシロウも無駄な戦闘は避け、サウザーのいるであろうあの巨大建造物へ向かっているのだ。

賢い。いいことだ。あのケンシロウでも雑魚相手に思わぬ負傷をすることはあるだろう。反面、追い詰められた雑魚たちが子供を人質にバカをやることも考えられる。

ケンシロウは大胆すぎるが、決して無思慮ではない、、と俺は無理に得心しようとする。
それにしても感心する。建材や食糧を運搬する自動車の数は多く、中心部に近付くに連れ、忙しく稼働している工場がやけに目に付くからだ。
また、聖帝軍は完全にこの地帯を掌握しているのか、賊の輩が見当たらない。ある意味秩序立っている。弱者には安寧の地ではないが、混沌とはしていない。
この組織だった運営、、、やはり南斗を率いていただけのことはある。もちろん、南斗聖拳内には分裂もあったが、大部分を一人制して来たのは伊達じゃない。
南斗最強の男だが、だからと言って力だけで支配して来たのではないのだ、あのサウザーという男は。
組織はまさにあの聖帝十字陵が如くにピラミッド形式だな、などと内心上手いことを言った気になり、俺は歩を進める。

「うん?」
遠くに見える砂煙、、3台のバイクと輸送車。俺はバックパックから双眼鏡を取り出した。
「、、、」
予想通り。荷台は拉致された子供たちが詰め込まれた檻となっている。既に泣き疲れたのか、みんな下を向いて大人しく座り込んでいた。

その輸送車のスピードはさほど出ていない。俺は決心した。


スゥゥゥ〜
カッ!


一呼吸で俺は常人レイから南斗水鳥拳のレイに変化した。傾いたビルの急斜面を落下速度に負けるな!とばかりの速さで駆け下りる。
わかっている。目的はケンシロウを追うこと。サウザーを倒せば繰り返される悲劇は止む。ここは自制してことの大局を見据えるべきだと。だが、義の星というのは不自由な宿命を背負うものなのだ。そして義の星の、その宿命の通りに生きることが俺を最も光らせる。

俺のための光じゃあない。
俺も、、、この乱世という闇を斬り裂く一条の光でありたいのだ。

 

南斗聖拳が軽功術を得意としているとは言っても、全力で駆け抜けた場合、いいところ数十メートルしか保たない。そういうものなのだ。
だから氣の発動を減らし、一方で肉体への負担を軽減する。言わば中距離用の走法にシフトする。
これでスポーツの祭典などという笑えるような偽物の栄華を誇ったアスリートたちを遥かに後方に置き去りにできる状態に、俺はなった。

 


ケンシロウの100m走は9秒台
日本人も今は9秒台が出せているので、このケンシロウの記録は、氣なしの純粋な肉体の力と考えていいでしょう。しかも、北斗神拳の鍛錬で出来上がった肉体なら9秒台前半かも知れません。

 


悪路を走る遅いクルマ。俺はすぐに追い付き、そして、、、
「ほおう!」
と高い声を発しながら跳躍し、子供たちが閉じ込められている鉄檻の上に着地した。
間抜けな運転手は気が付かないようだったが、前と両脇に護衛役で配置されているバイカーモヒ官は、俺を見て取り乱した。
俺を南斗水鳥拳のレイとまで知らないまでも、走るクルマに追い付き、しかも上に飛び乗るというそんな真似ができる常人はいないのだから、当然の反応だ。
「あ! きっさまは! 同じ南斗でありながら聖帝様に逆らう、、、」
長い。さっさとそのぶら下げたニードルマシンガンを向ければいいだろう?
その男が漸く腰のニードルガンに手を伸ばした。俺はその時既に輸送車の側面から倒れ落ちるような体勢になっている。もちろん、何もしなければこのまま落ちる。
ニードルガンがこちらを向く直前に、俺は檻を強く押し蹴った。俺よりもずっとずっと重いこの鉄の塊を、南斗の脚が強く押す。
つまり、俺は常軌を逸した速さで横に跳躍した。
「しゃう!」
走るクルマから飛び出した着地の勢いを無理に抑えることは、このスピードなら不可能ではなかった。
ただの気分だ。
俺はゴロッと転がり着地の衝撃を緩和する。もちろん、状態のいい地面を選んでいる。この時やっとバックパック内の双眼鏡に気が回る。壊れていなければいいが、、、

とりあえず今、それはいい。
バン!と手で固い地面を叩き、一度転がった身体を浮かせてバランスを戻す。
目をバイクに戻し、今度は最速の走りでそれを追う。
つまり、先程まで乗っていた男が、手にしたニードルガンとともにスライスされて、ダルマ落としのように上からスライドしながら離れ離れになっていく様を見ながらだ。
無人のバイクが、いや、半人とでも言おうか、下半身だけ乗せたバイクが倒れる前に俺は肉片を避けて追い付き、ハンドルを掴む。
脚を上げながら、先程の半分になった彼を蹴り落としてバイクに乗った。
アクセルを握り込みスピードを上げる。聖帝軍仕様のオフロードバイクの装飾は悪趣味だが、バイクに乗るのは久しぶりだ。

下を見れば瓦礫のオンパレードだが、見上げた空はそんな人間たちの事情とは無関係に蒼く綺麗で、むしろ澄んでいる。
「てぇめえ!」
バックミラー、、背後に回り込んだもう一台が、俺にニードルガンの狙いを定めてようとしている。
フワッ
俺はバイクから軽く跳躍し、身体の隙間を通り過ぎる風を感じながら後方のバイクに身を委ねた、、、尻を委ねた。
ドン!
「うお!」
と叫び、サングラスをかけたモヒ官はバイクから落下し、俺が乗り捨てたばかりの付き合いたった数秒だったバイクと並んでゴロゴロと転がっている。
俺は新しいバイクをそのまま代わって乗りこなし、アクセル全開でツーストの軽くて騒がしい音を上げてスピードを増す。
「運が良かったな」
と俺はニヒルな笑顔を作る。南斗の斬撃を受けずに済み、「事故」を起こしても何とか命は助かったようだ。
輸送車はこの悪路だというのにスピード上げるものだから、ガタガタと大きく揺れ、それでもこの俺からどうにか逃げようとしている。運転モヒの必死な顔が覗く。
「!?」
驚いたのは俺だ。
どうというスピードではない。だが、あまりに予想外の出来事には反応も遅れる。油断していたということだ。
俺の前方を走る残った一台のバイクから、今し方俺がやったばかりのように男が跳んだ。
だが、先の俺と違い尻を向けてはいない。バイクから背面跳びしたモヒカン頭ではない男は、空中で綺麗な逆十字架然としたまま俺に迫った。
そして手を胸の前で交差させ、
ビシュッ!
裂気の発動!?
咄嗟にバイクから跳躍し、俺は謎の男の奇襲を回避した。空中で身体を捻り、男を目で追うと、既に男は見事な着地を、切断されたバイクを背景に極めている。
俺も空中で風を身体に受けながら、可能な限り柔らかく着地した。

謎の男、南斗聖拳の使い手に違いない。
「流石は南斗水鳥拳のレイ!」
「! 、、、、」
俺は怪訝そうに男を睨む。俺は「外様」でも南斗六聖拳の一人。俺が知らなくても奴は俺を知っている、、、よくあることだ。
「貴様は何者だ!」
男は「フッ」と笑った後に名乗った。
「南斗将星、いや南斗聖帝の片腕、南斗鵷鶵拳(えんすうけん)のセイラン!」
南斗鵷鶵拳!
「ならば貴様は!!」
、、厄介な敵かも知れん。
「そう、知っての通り。我が南斗鵷鶵拳は鳳凰拳の陰! 六聖拳と言えど聖帝様の邪魔をするなら十字に斬り捨てるのみ!」

だが相手にとって不足なし!

137.

ヒエンの冷たい身体を抱き、シンは彼らしからぬ悲しみの深き谷の中にいた。

「なんとなく、最後はこうなるのではと予想はしていたが、これは決まっていたことなんだな」
シンの独り言ではない。背後の気配に言っている。南斗宗家宗主バルバである。
「彼ら三面拳の気持ちを汲んでやってほしい。そなたが聚聖殿を訪れた時、彼らの死は定まったのだ。それほどの思いを、彼らはそなたに懸けていた」
「何故だろうな」
「どうした?」
三面拳の死は悲しい。それこそ、途轍もなくだ。ユリアが身投げしたあの時とは比較にならないまでも、深い悲しみであることに変わりはない。
こんな時は土砂降りの雨に打たれたい。それなのに雨はとっくに止んでしまっている。

「まだ俺の悲しみは足りないか? それともまだ技を究めていないから、俺は無想転生に至らないのか? それとも、、これが南斗聖拳の限界なのか?」
バルバはすぐには答えなかった。彼の中では目まぐるしい計算が繰り返されている。
「愛の深さ。それが重要だ。技を究めても、このはじめの資質を得ることは、恐らくできぬ。だが、、」
シンはバルバに背中を向けたまま、その続きを待っている。
「そなたの中には三面拳によって学んだ武技がある。まるで分身のように、そなたの中に生きておろう。意識せずとも彼らが必要な状況に応じて姿を現す。そなたの南斗聖拳という至高の武技の上に」
「、、、」
「それでも北斗神拳の無想転生、、「無」には及ぶまい」
無、、、、無さえ南斗聖拳で砕いて見せよう! そう嘯いたこともある。結果、ガルゴの元斗究極奥義である無心に敗れている。大敗だった。
今までの南斗聖拳では「無」に勝つことはできない。それをシンは自身の経験から知っている。

「そなたが学ぶ最後の技は「無」をも引き裂く真の力だ」
また繰り返されるこの言葉。
シンは元から南斗の人間だ。闇の世界の住人だ。ここから更に暗く冷たい下の世界に行けという。常人には覗くことも不可能な暗黒の極みに堕ちろという。
だが理解している。それでなくては北斗神拳には勝てないことを。闘神の域に達したケンシロウに勝てないことを。
スッとシンは立ち上がった。
「三面拳を弔いたい」
「ライデンとゲッコウは既に霊安舎に、ヒエンは、、、」
「俺が運ぼう」
死体は、、重い。今回は特にそう感じられる。
「南斗の拳士たちの慰霊園がある。彼らもそこに葬られる」


ケンシロウへの怒りなどない。
左手を潰され、北斗の死拳を十字に叩き込まれても、あれは戦いの結果だ。怨みもない。
それよりも、、、過去を振り返って、友と呼べる者は、今日同時に三人とも失うことになった彼らを除けば、やはりケンシロウしかいない。
ユリアが愛した男だから、という湿るような感情も今では湧くこともない。

だがだ、、、、、
今やシンは南斗聖拳唯一の伝承者となり、しかもそれは真の南斗聖拳と言えるものに昇華されつつある。
その滅びに面した南斗聖拳を名乗るのであれば、覚悟の上で背負わねばならないものもある。
バルバや不気味な黒ローブたちのことはどうでもいい。ただ、三面拳や北斗神拳に敗れ去った南斗の拳士たちの思いを他人事として捉えることは、もう許されはしない。

シンは思い詰めたまま遠く一点を見つめている。

、、、、、ズ、、ズズ、、、ズズ、、ズズズ、、、
視界の端が侵食される感覚がある。
自分の呼吸音がやけにはっきりと聴こえた。
呼気に体内の汚物が混じるような感覚があった。

「お、おお」
この予想通りと言えるシンの変化に関わらず、バルバは思わず慄いた。予想通りの変化ではあったが、今にも湧き上がる寸前の黒い闘気の中に感じる、南斗が持つその独特の鋭さは、それ自体がバルバの予想を大きく超えていた。
だが、、、
「霊廟に案内してくれ」
「、、、、」
「どうした?バルバ」
「いや、、こちらだ。案内しよう」
バルバはほぞを噛む思いだった。ギリギリでシンはとどまったからだ。
まだ足りぬ!とバルバは怒りに近い感情を内に孕んだ。
南斗の主星帝王サウザーや、近いところではガルダを討ち取られ、三面拳の死を賭した思いを受け止めても尚、この男は魔界に堕ちぬ。
ニイィィ、、、
しかし、シンから見えぬのをいいことにバルバは口角を吊り上げた。まだ足りぬでも構わぬ。手は残っている。焦ることはない。極上以上の魔神に、この男はなり得る!

 

 

「墓と棺まで既に用意を」
「これは三面拳が望んでの結果だ。全ては南斗聖拳伝承者が北斗神拳に勝利するための礎になる、と」
飾り気もなく、いや、飾りはいらないだろうが、勇猛な拳士の弔いの地としては、あまりに簡素だった。
「こんなものか。こんなもの、だな。所詮殺人者の墓場だ。墓があるだけいい」
シンとバルバが見守る中、黒いローブの男たちが棺を穴に納め、土を被せて行く。いつもの黒ローブの不快な老人ではなく、若くはないが力はまだ十分な者たちだった。顔に痣もない。

「シンよ、、、」
埋葬される三人の棺から目を逸らさず、シンはバルバに耳を傾けてた。
「この近くに、、」
「、、、、」
南斗聖拳の先人たちが、北斗神拳抹殺に焦点を定めて代々鍛錬を繰り返した古の修練場がある」
南斗聖拳の中でも古代の拳士たちか」
「そう。聖十字霊拳の頃から含めれば、それはそれは永い年月を経ておる。行ってみるか?」

 

バルバが先導し、二人は暗い石道を進んで行く。するとすぐ、例によってかなり年代物の大きな鉄扉の前に出た。
扉の両脇には黒ローブの男が見張り役なのか、退屈そうに突っ立っていたが、バルバを認めるとまさにシャキッと背筋を正した。
「バルバ帝」
軽い会釈の後、二人の黒ローブは鉄扉を力任せに開き始めた。単純に筋力であり、氣の発現はない。この二人も比較的若く、顔の痣もない。

開かれた扉の先はそのまま階段になっており、光を吸い込むような闇が遥か下方へと続いている。
「これより先は、南斗聖拳の拳士以外は立ち入れぬ。私も多少の聖拳は扱えるが、流派を代表する正式な拳士ではない」
確かに、とシンは独りごちた。拳士や戦士の類でなく、むしろ魔術師や妖術師の範疇に入るだろう。それよりも妖魔の類か。
「故にシンよ。そなた一人でこれを降りてみよ。さすれば感じるだろう、そなたであれば」
「、、、何を」
「南斗の男たちの無念、いや怨念の数々を」
「そんなものは信じないのだが」
と言い残し、シンは松明を受け取ると暗い石段を降り始める。電気の供給は可能だろうに。これも雰囲気作りか?と内心思いながら。
シンが降りて行くのを確認し、鉄扉は閉じられた。そしてバルバは黒ローブ男の一方に目配せした。男は無言で頭を下げると何処ぞへと急足で消えて行く。
残った一人はバルバと二人残る形になり、その恐怖で居心地が悪い、それ以上だ。
「ぬしは何処ぞへと引っ込んでおれ」
如何にも邪魔臭そうにバルバは言い捨てるが、むしろ男にとってはこれ以上ないほど待望の好ましい言葉。
男は一礼し去って行く。その背中にバルバの視線が突き刺さるような気配を感じるが、実際はバルバがその男に示す関心はゼロ。見ることもなければ既に意識の外に追いやられていた。

 

数分後、代わりに現れたのは老齢ながら力強い歩みをする巨体の男だった。
「バルバ帝」
「そなたか」
「亡霊、、、私には信じ難いのですが、亡霊がかの男に何かを訴えかけるとでも?」
「フフフ、そんなことを考えていたか」
「、、、、なるほど、そういうことですか。壁を見れば南斗の爪痕がある。染み付いた汗と血の匂いがある。既に敵は北斗という偏った先入観に支配されたかの男なら、それら古い小さな断片が力の元となると」
地の底から響くような低い笑い声がした。バルバのものだと理解しているが、あまりに不気味が故、リハクは鳥肌が立った。
そんなリハクをバルバは睨むように見やり、きつい口調で言う。
「何を言っておる! 北斗神拳は敵、これを偏見だと言うか?」
「あ、いいえ」
数多の戦場を越えてきたリハクが恐怖した。ズワワ、、、バルバの影が揺らぐ、そんな気もした。
「それとだ。かの男だの何だの言うが、そなたは南斗聖拳伝承者への敬意に欠けておる。そなたが仕えた将の一人は既におるまい。シンは唯一の南斗聖拳伝承者にして、南斗宗家新たな宗主となるのだ。気を付けるがいい」
「、、、は」
「フフ、、亡霊な」
不快感を表した後の急な笑顔でも、少しも気が緩められない。逆にバルバの不気味さが際立つ。
「南斗の拳士であろうと感知できぬガスなどいくらでもある。シンに幻影を見せる」
「幻覚ということですか」
「だが騙しではない。動機付けというところだ」
リハクは鳥肌を通り越して寒気を覚えた。北斗神拳だけは純粋に拳技で凌ぐ、それ以外は何でもありか。
「空腹だ。シンが戻るまで時間はある。そなたも共するか?」
「いえ、遠慮させていただきます」
「フフ、、王族の食卓にあずかるなら、そなたはすぐに私に継ぐ地位だ」
「このリハク、とてもそのような格にはありません」
「そうかね」とバルバは笑いながらその場を後にした。

一人残ったリハクは唾を吐きたくなるのをギリギリで堪えた。口の中に汚物が在るようで気持ちが悪い。
何が王族の食卓だ!
あんなものを口にしたなら、このリハクも悪鬼羅刹に堕ちよう。如何に時代が時代でも限度がある。やはりこの南斗宗家は滅びねばならない。
そのための問題は多いが、既に蝙蝠は動いている。最大の難関は言うまでもなくバルバ。奴の力は底が知れぬ未知のもの。
やはり北斗神拳伝承者ケンシロウの助力が必要だ。助力どころか主力になろう。
だが、そんなリハクでさえ、シンとケンシロウの、つまりは南斗聖拳北斗神拳の完全決着を邪魔する気はない。
果たして、この重い扉が再び開かれるとき、シンはどれほどの魔神となって姿を現すのか、、、
思いつつ、リハクも場を後にした。

136.

蝙蝠は片膝を着き、高き座に就く男に頭を下げた。
広い部屋の壁際には武装した腕利きたちが蝙蝠をやや遠巻きに取り囲んでいる。

「それで頼みとは?」
低く渋い声。その主は、、
「はい、ナンフー様」
ナンフーとはサウザーの遺児を護る南斗将星直属のシュメたちである。ナンフーつまり南風、ミナミカゼ。強い南風をサウザーという。聖帝サウザーのものとスペルに違いはあれど、この国の言葉で表す場合に違いはない。
そのナンフーは顔の全てを包帯で覆い、しかも日によって、中身が入れ替わるという。つまりは、役割のことである。
それが蝙蝠が手にした情報と、そして確信に近い憶測だった。

「滅ぼすに値する敵がおります」
北斗神拳は我ら一丸となっても倒せぬ」
短めの白髪混じりの髪を後ろに撫で付け、顎髭も半分以上は白い。目尻の皺も深く、見た目は渋くていい男である。その名を蝙蝠は知っている。
モウコ。
シュメの実質的な棟梁であり、統率力、決断力に優れた生まれついてのリーダー。そしてその優れた資質の基盤となるのが、、、
「(やはり、、)」
蝙蝠はこの男と対面し、兼ねてからの疑問を解消するに至った。
モウコ、この男は「感応者」だった。それも生半可はレベルではない。シュメの掟に従い南斗聖拳を学んではいないが、その戦闘能力は並の南斗拳士でも太刀打ちできないであろうほどだ。
掟を破り、南斗蝙翔拳を得たこの蝙蝠と比較しても互角以上の力を有しているのは間違いない。しかも、蝙蝠が様々な道具と術を駆使するのに対し、このモウコは「感化」された身体能力による徒手空拳だけでも蝙蝠を凌ぐ程である。
それなりの南斗聖拳を身に付ければ、いや、あるいは六聖拳に数えられるほどの能力の持ち主であろう。

北斗神拳ではありません。ずばり言いますが、、」
モウコを前に、そして武装した腕利きのシュメたちに囲まれても、蝙蝠のペースは変わらない。
「私の、そして多分、ナン、、いえ、モウコ様たちにとっても敵である者たち、即ち南斗宗家です」
取り囲むシュメたちの氣が僅かに乱れた。それでも外面上に変化が見えないのは、流石は南斗将星付きのシュメである。
モウコは暫く無言を貫き、蝙蝠を観察し続けている。嘘偽りがあれば蝙蝠の氣に乱れが表れるからだと。そして蝙蝠の言葉に嘘はないと判断するに至った。
「南斗宗家か、、、サウザー様もその陰には気付いていたようだが、結局サウザー様が南斗の帝王になるにしても、何の邪魔もなかった。実在していたにしても、力無き者たちであろう」
「いいえ、彼らは狡猾です」
本当は「彼ら」とさえ言いたくない。蝙蝠が奴等を憎むのには、それなりの理由もある。
「更に言えば、私の雇用主でもあります。とは言っても、、」
と話を続けようとしたが、流石に周囲のシュメから「何!?」等の声が上がり、蝙蝠の言葉を遮った。
騒つくシュメたちだが、モウコが黙って手をかざすと、水を打ったかのような沈黙に帰った。
「続けろ」
「はい。彼らは基本的には愚図の群れですが、統べる者だけは一筋縄では行きません。名はバルバ。南斗宗家宗主。彼らの最大の武器は情報網。恐らく、その点において旧世界の設備もある程度は機能していると思われます」
「、、、ほお」
「もう一つ、これも最大と言ってもいい武器があります。徹底した非道ぶり、ダーティーとでも言いましょうか」
モウコは笑った。他のシュメたちにも笑いが伝染する。
「非道? 我らは南斗様に仕える、シュメであろう?」
「しかし、義はありましょう!」
蝙蝠らしからぬ力を込めた言葉に、流石のモウコも息を呑んだ。他のシュメたちも、この時漸くにして、この蝙蝠という男が噂以上の達者であることに気が付き始める。
「義、、、な」
「我らシュメは、、いえ、私は破門されていますからシュメではないのですが、続けますよ?」
「フッ 続けろ。我らは将星付きだ。貴様らのことには関知せん」
「ありがとうございます。では、続けます。如何に我等シュメが人外の道を歩んでも、それが南斗様、そして我等に資することないのであれば、私利私欲のために他者の尊厳を傷付けることはありません。違いますか?」
尊厳を傷付ける、とは随分ソフトな表現だと蝙蝠は心中で一人おどけた。だが言いたいことは伝わっている筈だ。

「だとしたら、それで?」
流石に風格がある。過去に対面したサウザーほどではなくとも、蝙蝠はモウコにその像を見た。
サウザー様が子供たちを拐って労働力とした。強制労働に就かせた。これをモウコ様たちはどうお考えに?」
「善悪は我等の領分ではない。南斗の将星が命じたことに口出しできる身分ではない」
「はっきり言います。サウザー様は、、おかしくなっておられた」
「!!」と殺気に近い害意を放ったのはモウコではなく、他のシュメたちであった。
「我らが盟主をそう言うのであれば、それなりの覚悟はあろうな」
今は亡きサウザー。しかし今だにサウザーは彼らにとって聖帝なのだ。だからこそ、その遺児を担ぎ、彼が成長するまでナンフーの役割を演じるのだろう。

「しかしながら! 或いはの憶測ですが、サウザー様はそうすることで、子供たちを死の荒野から守っていたのではないですか?」

破綻した論理である。孤児であるならまだしも、無理やりに親から引き離された子供たちも少なくはない。そのために繰り返された悲劇は数え切れない。
だが、、、
サウザー様は、、、私が知る限り、最も愛情深き方だったのかも知れぬ。あれほど輝く目をした少年にも会ったこともない。これは闇の組織シュメの人間だから、他にシュメの子達しか知らぬのだろうということではない」
「はい」
「あの方は南斗の希望だった。15になるまでは、、、」
武威は遠く過去に遡った。

 


「お呼びでしょうか、オウガイ様」
その姿勢の良い後ろ姿は隙だらけに見えて、その実わかる者にはわかるのだが、顕微鏡サイズのスキもない。その背中がいつもと異なる何かを物語っている。

「伝承の儀を執り行う」
「、、、、遂に」
伝承の儀と言っても儀式的なものではない。証書を授けるような式典の筈もない。
新伝承者の力と資格を計る死斗なのだ。
サウザーの本当の力を見るため、こちらも手を抜けない。だが、このオウガイ、敗れるであろう」
「オウガイ様」
「本望だ。それも一子相伝の秘拳、南斗鳳凰拳の宿命」
オウガイは確かに強い。しかし、南斗最強のオウガイも今は下降線を辿っている。一方でサウザーの光は輝きを増すばかり。
「モウコよ」
「は」
サウザーを頼む。一子相伝の厳しい宿命に、サウザーは呑まれてしまわないか、そんなことを思うこともある」
異例なことだった。シュメは明確に南斗の下に位置する組織である。オウガイにしてもサウザーの後見人とまではモウコに願わないまでも「頼む」、とは異例中の異例だった。

 


オウガイ様の言った通り、サウザー様は暴走し、南斗の光だったのが、真逆に反転してしまわれた。しかし私は、サウザー様を諫める立場にはない。
ただシュメの役割、存在意義を守るため、悪の帝王と呼ばれるまでに堕ちたサウザー様にも仕え続けた。それがシュメの存在意義だからだ。そして、これもまた宿命か運命か、道を外れた南斗の鳳凰北斗神拳によって撃ち落とされた。


「蝙蝠」
「はい」
「お前の話、聴いてやってもよい。確かにサウザー様は道を誤られた」
周囲のシュメたちの気配が騒めくが、皆一様に同意しているのか、声を発する者はいない。
サウザー様が集めた子供たちはケンシロウによって解放された。だが、戻る場所のない子供たちはどうなったか、わかるか?」
「大半はユリア様の街へ、極一部はシュメに、他に残った者たちは行方を眩ませたまま。そんなところでしょうか」
「察しが良い。流石はあの蝙蝠」
話が通った。蝙蝠はこのシュメの棟梁が自分の話に乗ったとの小さな達成感を得た。
「話を聴いてもいい。だが」
モウコの目が鈍く光る。



「なるほど。して、その話が、真実であるという確証を出せるのか?」
これも想定内の事態。当たり前だ。それにしてもモウコは表情に、蝙蝠の話を聴いても大きな変化を見せなかった。ある程度は察していたのかも知れない。
しかしだ、それと別に考えても今や人数も減ったシュメの忍たちを戦闘に繰り出すというのだ。蝙蝠という不気味な男の話を鵜呑みにするような軽率さはない。
「確証、、、ではこのようなのはいかがでしょう」
と、蝙蝠は黒い衣服の懐に手を差し入れた。武具を取り出すその仕種に動揺するシュメは誰もいない。数の優位に恃むのでもなく、ただオウコの力を信頼しているからだ。
とは言え、流石に一流のシュメたちである。動揺はしないが油断もない。
そんな緊迫した空気の中、蝙蝠は白刃ならぬ黒刃の短刀を抜き出した。蝙蝠は「聖拳」を会得できなかったが、氣を刃に込めることができる。
刃渡りは短くても、氣の効果による切断力は並の刃物の比ではない。それを手にした者が蝙蝠という手練れであれば、数が多かろうと油断などできよう筈はなかった。

「私の忍働きも不便になりますが、この左腕、差し出しましょう」
蝙蝠が刃に氣を込めた。
「待て」
「、、、」
「貴様の本気を見た。だが、貴様自身が誤解か或いは偽の情報を掴まされている可能性はある。貴様の言うことを、貴様の案内の元に確かめさせてもらう」
「はい」
「それで錯誤あれば、貴様の喉元は容赦なく裂かれるであろう。それがシュメを動かすということだ。更に言うなら貴様は掟破りの罪人」
「この我が願い、成就を見るなら如何様な裁きも受けましょう」
「!」
飄々として掴み所のない蝙蝠が見せた、静かながら強い意思表示にモウコほどの男が威圧された。結果、シュメたちに囲まれていても場を支配したのは蝙蝠であった。
「(なんという手練れよ、蝙蝠)」
モウコは久々に「現場」に出て指揮官としてではなく一工作員として、この手練れ蝙蝠と一仕事してみたいものだ、と思うに至った。

 

「だが蝙蝠よ、先にこれは否定しておく。ナンフー、、その名が意味するところは貴様の予想ほど浅くはない」

「、、、あれ、間違えてました?」

と、もういつもの蝙蝠である。

「正解ではないが、遠からず。全てが片付いたならその真の意味も理解できよう。ただし、それはまだまだ先の話かも知らぬ」