妄想北斗の拳

妄天の拳です。北斗の拳のイフストーリーを南斗聖拳シンを中心に妄想してます。

135.

変貌を遂げたヒエンから、これまでの彼にはなかった闘気が吹き出ている。
闘気が吹き出る、、肉眼にも赤い蒸気が見えるが、これはヒエンの血液が渇いて塵となっている状態である。こんな状態は本来の暗殺拳南斗聖拳ではない。今更だ。なのに何故かそれをしみじみと感じさせられる。
ヒエンがあまりにも不自然で、らしくないからだ、、すぐにそう思うに至った。
本当に今更だ。以前の世界なら、ほとんど誰も南斗だ北斗だ、などと知りはしなかった。それが今では南斗聖拳や一子相伝北斗神拳を知らない方が稀だ。
ヒエンの極端な変化が、同様に激変した人間世界を改めて思わせる。

氣の放出量は多い。単純な出力も相当なものだ。間違いなくヒエンの生命力を放出していることによる。

その予想を、ヒエンの様子からして外し用がないこの予想が、正解であることをヒエン自らの口が語る。

「この力の代償は命! これで私の死は不可避! 確定した!」
「ヒエン、、、」
悲しかった。確かに南斗聖拳らしからぬ強大な氣だ。だが、、、、
「私たち南斗三面拳は、この世に生を受けた日は違えど、死する日は同じ日と誓っている! ありがたいことだ! その誓いは叶う!」
悲しい気持ちがシンの心を満たして行く。そこまで思える仲間がいても、こんな悲劇的な願望の成就などあろうか。自らライデンとゲッコウの命を奪っておいて悲願達成とは滑稽でさえあった。
そして、如何に氣を強化させても、この強化状態でヒエンは戦ったことはない。力が暴走するだけだ。氣の制御は困難。氣を集中させ鋭くするという南斗聖拳の本質から離れている。
今のシンにとって、この狂気と死を以って挑むヒエンですら、少しも脅威に思えなかった。

「では!」
ヒエンが堂々たる立ち姿でシンに呼び掛ける。
「いいいくぞ!! シン!!」
ドン!!
毛細血管の浮き出たヒエンの顔がすぐ目の前に迫る!
シンの予想を上回る凄まじい速さであった。

確かに予想は上回った。しかし、これは油断ではなかった。予想はしていたが、決め付けてはいない。
加えて、凄まじく速いものの、サウザーの、そして今やその速域の住人であるシンを捕まえる程のものでもなかった。

ビビュン!!
その速さから繰り出されたヒエンの突きは鋭さも威力も十分。
だが! やはり躱すのは容易なのだ。
思った通り、ヒエンは力を制御できていない。今のシンから視ると、そんなヒエンの突きですら雑味が感じられる。透明感がない。
無論、透明感とは感覚的な話なのだが、裂かれた空気の散る様子、氣と体の連動に見える齟齬、そしてそれらよりも、狂気故の単純な勢いだけの思考。全てかけ離れている。
総合力なら元のヒエンより上でも、既にシンを脅かす要素がまるきし見当たらない。

「おのれ! シン!!」
ビシュ! ドシュ!
冷静さを欠いたヒエンの大きな攻めも、シンには完全に読まれていた。段々とシンは、ヒエンのその命懸けの猛攻をさえ、最小の動きで見切りはじめた。
スキが多い。ヒエンの速いだけの突きを躱しながら、「ここで入れられる」と心中にて己が技を試す。
一撃一撃、徐々にヒエンの攻めは鋭さを増して行くが、代わりに出血と生命力の浪費も大きくなっている。
続くヒエンの一撃からは、遂に増し続けていた鋭さが損なわれはじめた。
それでもシンに油断はなかった。敢えてそう見せての最後に、ヒエン渾身の一撃を溜めている可能性を否定しない。

「ヒエン、、」
当たらない攻撃を繰り返す度に、ヒエンらしからぬ汚い言葉が発せられる。それに伴いヒエンの力が急速に失われている。確実にヒエンの命が萎んで行っている。

「くっ! 当たらない! 何故だ!」
「、、、、」
「フッ、、フフフ、、こういうことですよ、シン様」
「?」
「我ら南斗も北斗神拳の秘孔点穴術を極めようとしました。なのに、その企ては成功したことがない」
ヒエンが寄る!
「ほぉう!」
またヒエンが距離を詰め、動きの大きい旋風脚を見せるも、、ただ空を切る。ますますシンに当たる見込みはない。
「フッ 当たらないか、もう、、、」
「ああ、当たらない。もうな」
ヒエンの肉体から柔らかさがなくなり、重く硬直して行くのが、シンの氣眼にははっきりと視えた。
「そう、、南斗が秘孔点穴術を得ようとすると、不思議とその者は何処へと消え去った。或いは拳士同士の私闘にて命を落とした」
「、、、」
「何故か。それは貴方もご存知でしょう。北斗神拳は自分たちの秘術を決して渡さない。それでいて他流派からは見ただけで奪う!」
「、、、ヒエン」
南斗聖拳組織には、自覚もないまま北斗のスパイにされている者も多い。それもわからずに親北斗派もいるのだから馬鹿らしくて可笑しくなる」
そう話すヒエンの足元の血溜まりは広がっていく。浮いていた顔の血管も治まり、血の気の引いた青白い肌が、皮肉なことに本来のヒエンの美形を際立たせる。
南斗聖拳を愛したのに廃された私たち南斗宗家。もちろん、北斗神拳の使い手どもによって悪評を流され、時に秘孔点穴によってそう思い込まされ、南斗聖拳そのものによって危険視され、排斥された!」
「、、、」
「南斗には絶えず内紛があり、将星と正統血統が反目するように謀られた。結果どうなりましたか!?」
普段の優しげで、どことなく浮世離れしたようなヒエンに、これほど強い北斗神拳への怨念があったことに驚く。
「門戸を開き、流派を増やすことで発展した南斗聖拳の筈が、奥義の密度は薄まり、最高峰の六聖拳ですら北斗神拳に及ばない、、、そのように、謀られたんですよ」
「その怨み、怒り、憎しみ、、、全て俺の力となっている。安心しろ」
「、、、そんな気はしませんが、、、しかし、私の時間ももうここまで」
「、、、、」
「ならば、、」
とヒエンが目を閉じた。シンがその隙を狙わないことを知っている。
「このヒエン最期の秘拳、見てもらいます!」
「見せてもらおう」
シンは油断なく構えを取った。自身の拳は「南斗聖拳」としての幅を大きく拡げたが、いざという場面は「孤鷲拳」の構えが出る。
しかも、孤鷲拳は南斗源流直系であり全ての南斗聖拳の骨子を色濃く残した拳。散らばった南斗諸派がここにまとまるにおいて、最も相応しいのは、まさにシンしかいなかった。

「哈ぁぁぁ!」
ヒエンが氣を、そして命を振り絞る。
そして!
「南斗宗家最終極義!紅漿霧!!」
瞬間!ヒエンの命の躍動が止まった。その直後!
バッ!!
血と氣が爆ぜてシンの眼前に、紅く濃い霧の壁が作られた。シンは肉眼も氣眼も共に眩まされた。
受けに回ったがため、思い掛けないヒエンの大技に完全に絡め取られる状態となった。氣だけでなく、体内の血液を瞬時に吹き出させる死亡確定の秘奥義。
いや、既に終焉節によりヒエンの死は確定している。シンはここにヒエンの武の極みを見た。
ここで鶴嘴千本を投げ付けられては、気配でも目でも視ることは困難。シンは止むを得ず千の突きで無闇矢鱈の防御壁を張り巡らした。

シンの千手突きが、目の前の血と氣の障壁を払い退ける。
手応えあり! 数本の鶴嘴千本を斬り落とした。
しかし、千手突きの一瞬に氣を集中したため、ヒエンの位置を見失う。それでなくても死を賭けた壮大な目眩しの中にあったのだ。
それでもだ、研ぎ澄まされたシンの聴覚は、ヒエンが高く跳躍したのを感じ捉えている。
鶴嘴千本を投げ付けながらの跳躍、いや飛翔。まさに飛翔、そして、、、
「(美しい)」
南斗水鳥拳の男レイは、その最期の奥義にて同じ南斗六聖拳の一人ユダの心を奪い、その心の虚無に勝利の一撃を極めたと聞く。レイは最後の最期で自身の拳の極みに到達したのだ。
もちろん、レイの最後の飛翔は見ていない。故にシンはこのヒエンの飛翔に別の影を見た。


ヒエン、、、才なき者よ。確かにお前に才あればレイやユダを超えていたやも知れぬ。だが、お前にその天質はなかった。だから、技が極まったのだ。

 

ヒエンが最高点に達し、シン目掛けて落下に移行する。
ガッ!
ヒエンは強く合掌し、全ての力をその両掌に込めた。もう防御も回避もない。どうせヒエンはここで死ぬ。攻撃力に全振りの捨て身の一撃!

「甘えるな」
シンは呟いた。
頭上高くからの全霊の一撃など、その場を移動するだけで容易に避けられる。相手が自分の一撃に付き合うこと前提の死技だ。

何故にそんなものに付き合う必要がある?

熱い思いなど、一振りで無効にできるのだ。南斗聖拳は戦場の拳だ。そして暗殺拳だ。実利の拳だ。

なのにシンの脚はその場から離れることを拒否した。命が尽きようとしているヒエンの一撃を、無下にすることができなかった。

「うぉおおおぉ!!」
落下速度、、その「遅い」ヒエンの空襲。しかも「正直」な一撃。その場を移さずとも見切るのは容易だった。かと言って、シンに油断はない。目と氣でヒエンの全てを洞察する。その時間的余裕がある。

「(いい目だ、ヒエン。悲しいな。救うために殺さねばならぬとは)」

そして、、、

ズン!!

ヒエンの両掌渾身全霊の突きを受け止めたものは、シンの左の、、、掌だった。ケンシロウに破壊され、奇跡的に回復したものの、その表裏の傷が消えることはない。
その刹那の後、ヒエンは着地もままならず、崩れるように地面に叩き付けられた。

 

「、、、これほど、差が、、、さあ、、トドメを」
もっと言いたいこと、話したいことはあるであろう。
その時間も力もないのは明らかだった。限界はとっくに振り切っていた。

しかし、、、、

 

「! すまない、ヒエン」
介錯の必要なし。ヒエンは既に事切れていた。

「お前の最後の飛翔、、、、サウザーを思い出させた。倒すためでなく、散るための、、、」


ヒエンは元の顔に戻り、実に安らかに眠りに就いている。自身の血で紅く染まっては紅鶴拳にもなれぬのに、それでも最後の飛翔は美しく且つ雄大だった。

 

「さらばだ、ヒエン。さらばだ、南斗宗家最強の戦士、南斗三面拳」

 

レイ.26

「うっ、、ぐぅ、、、」

両肩が痛む。レイの奥義で斬られた両肩がだ。
あれは別世界の話の筈だ。時を遡った俺の今の時間軸では起きなかったことだ。
恐らく、俺がトドメを受けたあの強烈な瞬間を、心が現実にしようとしているのだ。
俺は鏡に写して自分の肩を確認した。うっすらと赤い筋が両肩に浮き上がっている。

やめろ!あれはなかったことになった。俺は奴の拳刃をこの身体に受けてはいない!


レイ、、、
それにしてもレイ。何だ?こないだの、あの華麗とは対極のような動きは、、、、。
新しい足捌きを学んででもいるのか、動きに精彩が欠けていた。俺が知っている最強華麗なる南斗水鳥拳と別物だ。
奴としても、あの世界のレイとは状況が異なっているのだから、あの冴えやキレがなくても不思議はないのだが、かつて心奪われた昔のレイにさえ遠く及ばないではないか。
「だが、、、」
俺は一人呟いた。
あの動きからザラつきが落ち、女の柔肌のように滑らかなものとなったとしたら?
南斗水鳥拳の極みは脚の運びにある。リズムではなく、連続する流れだ。緩急もありつつ湖面を滑るような動きを、二本の脚で為すことに、水鳥拳の極意がある。
それを究めた者が宙を舞えば自ずと、空での舞いも冴え渡るというもの。
かつて心を奪われた奴の空舞の威。こちらを明らかに狙って来ている、殺りに来ているというのに、この俺に迎撃も回避さえをも忘れさせた、あの最後の奥義。
喰らった直後の、我に帰った瞬間即ちケリが着いたその時を思い出し、俺はゾッとして、そして同時に記憶の中のレイに再び酔った。両肩が再び痛む。今度は胸に至るまで痛みが走った。 
鏡の前に立っても、今の俺がするのは南斗紅鶴拳の基本的な型だ。それを繰り返し、俺も自分の拳から澱を取り除く。奥義とは基本の積み重ねの先にある。
かつてのようにポーズを取り、弱い自分を強いと褒める他者の言葉を求めていない。
今のレイはあの死を前にした最期の拳域にいない。それでも、別の手段であの拳域に到達しようとしている。あの不自然な動きは、恐らく進化の過程だ。言わば成長痛のようなものだろう。
レイ、、、奴がサウザーに付くことは先ずあり得ない。となれば、やはりレイと戦うのはこの俺の宿命か。もう一度やり合うことになるやも知れぬ。こないだのはやり合った内には数えない。
俺が望むのは奴があの時の南斗水鳥拳の極致に至ること。それを迎え撃つ俺も、南斗紅鶴拳の極限に達することだ。
それでなくては最強華麗なる南斗六聖拳同士の血闘ではない。





一人で周囲を散策しながら、俺はトキの柔の拳の動きと南斗水鳥拳を融合させるべく修練を続けていた。自分でも大分それなりになって来ていると感じる。少なくとも、当初よりは遥かに。
俺がいるここは、ビルに囲まれており目立つ場所ではないが、どこかで聖帝軍の斥候が見ていることも考えられる。十分に時間をかけ、周囲を遠くまで警戒し、俺はシュウたちのアジトに戻った。


「お帰りなさい!レイ様!」
という門兵の挨拶が明るい。笑みを浮かべてさえいるではないか。理由はすぐにわかった。
この匂い、、知っている。俺も自然と目元と口元が緩む。
匂い、、、と言えば、この時代の人間は匂う。あの豊かだった時代は、ほんの僅かな体臭でさえ悪と見做されるようなところがあったが、今となっては水は貴重だ。昔みたいに毎日身体を洗うなんてことはできない。
だが、雨は割と普通に降るし、それらの雨水は可能な限り無駄なく貯めておく。そのまま飲むことは難しいが、身体を拭くなどに困ることはない。

住人が多い村なら寄せ集めた部品で、そこそこの大きさの浄水器も作られていたりもする。
もちろん、当てのない長旅を続けるというのなら水のために命を落とすことになろう。それでも、元からの気候からして降る時は降る。恵の雨という言葉は、きっとこの時代の全ての生存者にとってリアルなものだ。
話を戻そう。そう、昔と比べたら確かに人間は匂う。だが、それは悪臭というよりも人間本来の匂いであって、不潔さを意味するものではない、、、

いや、それは苦しいか。とにかく、基準が「以前」と変わっているのだ。鼻にツンと来るような匂いでないなら、この時代では正義だ。
そう言う俺自身も、今身に付けている衣服はインナー以外、数日も洗っていない。
「シュウ、入るぞ」
俺はノックもせずに扉を開けた。
「レイ」
クールか! どこへ行っていたんだ!? お前という男は!
ケンシロウ!」
やはりそう、この匂いはケンシロウのものだった。だがケンシロウはいつもの革ジャケットを着ていない。筋肉量の多い人間は体温が高く暑がりだが、同様に筋肉質の俺にとっても決して暑い部屋ではない。
「シュウ、どこでケンシロウと?」
その時、気が付いた。シュウの左頬がやや腫れ上がり、青く内出血していることに。
「どうしたんだ?シュウ」
ケンシロウは一人用のソファに前傾姿勢のまま無表情で座っている。まさか、お前が? それで革ジャケットを損なったのか。 だがどうして?
北斗神拳伝承者の力を知るには、私も命を賭ける覚悟が必要だった」
「シュウ! ケンシロウ! まさか?」
シュウは答えず、静かに微笑しただけだった。
「強い! 私の南斗白鷺拳も通じず、だ」
「そうなのか」
ケンシロウの強さは俺もよく知っている。あの蛮族との戦闘中、敵の策により俺はケンシロウとやらざるを得なかった。
俺には躊躇いや迷いもあったが、それでも俺の本気の突きを見切っていた。
その後もケンシロウの拳を何度も俺は見てきた。
しかも、この世界では回避された拳王ラオウとの絶人の域にある対決を見ている。あれはもう人間同士の戦いではない。神々の戦いだ。南斗六将の一人たる俺がそう感じたほどだった。
「そしていま」
とシュウが話を続けた。
サウザーのことを伝えたところだ」
なるほど、ケンシロウが沈黙していたのは、そういうことか。この男は感情をあまり出さないからな。この男なりに考えているのだろう。
だが、遂にケンシロウと合流できた。今回はシュウまでいる。サウザーにはユダが付いたが、それ以上の駒が揃った。
もちろん、兵数そのものでは比較にならないほどの差はあるが、賢くやればこの勝負、勝てる!
俺は明るい未来を思い描きながら、この日は休むこととした。




「なに!?」
「すまんレイ。ケンシロウは一人で行ってしまった。仲間たちは止めようとしたようだが、、、」
いいさ、それはいい。ケンシロウを止めるなんて無理な話だ。それにしても、、、
「たった一人で向かうか! 、、ったくあの男は」
まさか、、まさかあいつなりに気を遣ったのか? 敵が俺たちと同じ南斗では、と?
「シュウ、俺は一足先にケンシロウを追う」
と言ったが、奴はどっちに向かったんだ。俺は暗殺拳南斗聖拳の使い手だが、足跡を見て標的を追うという能力を持っていない。
というよりもここは廃都市。荒れてはいても舗装された地面だ。犬のような嗅覚も俺にはない。どうする?
だが、直後ピンと来た。
ケンシロウならダイレクトにサウザーの元に向かうのでは?
カサンドラに真昼間の真っ正面から堂々と攻めて行ったことを思い出す。
俺も南斗の男として、北斗神拳伝承者とともに敵の元に赴くということに軽く興奮していたが、今振り返るとあれは無謀な行為と言ってもおかしくはない。
いや待て待てレイ。とりあえずはサウザーの元に向かわねばならないのだ。ならば俺もまっすぐあの聖帝十字陵を目指せばいい。
つまりは聖帝勢力の中心部に向かうということだ。水、食糧、その他物資は持って行く必要はない。現地調達は容易だ。大した準備は要るまい。
「レイ!気を付けろよ!」
「レイ!気を付けて!」
む?
「あ! バット! に、リン!」
何故ここに? 急遽俺は二人の元に寄り話を聞いた。アイリと、そしてマミヤのことが気にかかる。


「そうなのか」
全く、この二人は! あの村はリュウガの直轄になって以来、確かに住みやすくなったという。それは安心だ。だがこの二人はケンシロウが恋しくてたった二人で街を出たという。
俺がユダと一悶着した時は既に村にはいなかったらしい。
それにしても、こんなまだまだ少年少女の二人がどうやってここまで?
まさか、、、この二人はケンシロウとともに過ごした時間が多かったがため、所謂「感応者」なのでは?
戦闘能力が向上しているとは感じられないが、危険察知能力が著しく発達した可能性がある。いや、北斗神拳伝承者の孤独を少しでも埋めるべく、天が遣わした小さい友人、それでいいのかも知れん。
「バット、リン、俺は大丈夫だ。もちろんケンシロウもな。あいつの強さは知ってるだろう?」
と、俺の身をも危ぶむ二人を安心させる。逆にこの二人はシュウといるのだから安心だ。
俺は軽い別れを済ませてケンシロウを追う。
今はケンシロウに追い付くことが急務なのだが、バットたちの言葉が離れない。
「アイリさんは村に残ったんだけど、、、」
「マミヤはよ、やっぱり拳王の下っていうのが嫌でバイクで旅立っちまったんだ」
予想通りだ。
全く!どいつもこいつも好き勝手に! どれだけ危険か知らないわけはないだろうに、好き勝手に行動する!
アイリ、、、以前ユダはあの村に攻め入ろうとしていた。あの謎の男たちが監視を続けているならまだいいが。でなければリュウガが先日の報を受けて常駐していれば、ユダとて安易には攻め込めないだろう。
ケンシロウ、アイリ、マミヤ、、、これでは気を病みそうだ。
しかし、今最も集中すべきことはケンシロウに追い付くこと。ケンシロウの強さは知っているが、、、、
俺はサウザーの不敵な顔を思い出す。サウザーは危険だ。
南斗聖拳最強の男。南斗聖拳では倒せない男。あの拳王が戦いを避ける男。何も知らずに正面から挑んでいい相手ではない。
だが、ケンシロウは正面から行くだろう。まずはケンシロウを落ち着かせなければ。
と言ったところで「じゃあ二人で行くぞ」とはできない。結局はケンシロウ頼みなのだ。
考えもまとまらないままに俺は先を急いだ。

後ろからシュウが声をかける。

「レイ、私たちも後から追うが、すまない、こちらは簡単には動けないんだ」

「ああ、わかってる。だが、シュウが来る頃には全てカタがついていると思うぞ!」

俺は願望を口にした。南斗の拳士がすべきことではない。俺なりに傍で聴いているバットとリンを気遣った結果だった。

 

むむぅ、、、

シャワー浴びている最中、こんなことを書こう、、と妄想すると、いいアイディアが浮かぶことがあります。

我ながら、「これいい!」なんて思ったりします。

そして寝て、朝仕事に向かい、ストレスと疲れと共に電車に揺られて、昨夜のプロットは忘れて、空いた時間に書いてみる。

書きたかったことが出て来ない、、、

ウグゥ、、、

133と134は特にその傾向が強かった、残念な話になってしまいました。

当初に妄想した内容は、もっとシンの女に対する思いをサラッと、しかし深く表現できてましたし、ヒエンのやるせなさもずっと感情が入ってました。

こんなことを書こうというメモもしたりするのですが、最近は忙しくてなかなか。もちろん、時間そのものはありますが、優先順位というものがありますので更新遅れ気味です。

 

まあ、言い訳なのですが、私の力では表し切れないシンとヒエンと、そしてライデンとゲッコウの思いを、熱く悲しく、ご自身の中で妄想して下さい。

そうしていただければ、私が本来書きたかったことを、きっと超えていくでしょう。

 

 

 

134.

「ライデン、、、これは一体、、?」

久しぶりの、強い雨の日だった。
シンは息も絶え絶えに倒れるライデンの半身を起こして尋ねた。
胸の刺し傷は深く、雨とともに流れ続ける血の量は多い。
「はぁ、はぁ、シン様、、」
「ライデン!」
助からない、、、ライデンの身体から「力」が消えて行くのが感じ取れた。
「奴が、、狂った、のです」
奴?
シンにとって、三面拳の中で最も付き合いが深かったのが、このライデンだった。彼の古今多くの武に通ずる蘊蓄を聞いているのは、シンにとっても率直に言って、極めて楽しい時間だったのだ。
「ライデン!死ぬな!」
ライデンは死ぬ。それが分かっていても無駄とわかる言葉を吐かずにいられない。
「シン様、、三面拳、、最強の男が、はぁはぁ、、あなたを待っており、、ます」
「ライデン、、ゲッコウがお前をやったのか!?」
「シン様、、あなたが、、、北斗神拳を、、倒、す、とき、、、  」
冷たい雨が、ライデンの僅かに残った命の温もりを奪い取って行く。
「何故だ、、ライデン」
痛んだ。友と言っていいだろう、ライデンの死に心が痛んだ。
「ライデン」
泣いてはいない。心は熱く強く揺れ動いた。目に入った雨が零れ落ちる。それだけだ。

「さらばライデン」
後で手厚く葬る。今は先に行かせてくれ。
そう心で呟き、シンは深い谷に掛けられた吊り橋を渡って行った。


殺気立っているのを自覚している。だが、ゲッコウがライデンを手に掛ける理由がわからない。ガルダのこともそうだった。どうしてケンシロウに挑んだのだ?
まるで何もかもがわからない。
疼くような怒りがシンの知能を鈍くする。むしろ爆発させてしまえば、怒りであろうと思考は冴え渡るだろうに。


「ゲッコウ!」
雨の竹林を二つに分ける小道を遮るように、ゲッコウが広い背中を向けて立っている。
「何故だ! 何が!」
ゲッコウは振り向かなかった。
「ゲッコウ!!」
更に強く呼び掛けると、ゲッコウがゆっくりと振り向いた。
「ゲッコウ、、、」
「シン様、、ですか?」
すると、ガクッ、、と、その膝から力が抜け落ち、ゲッコウはその場に座り込んだ。恥も外聞もない、そんな状態で、いわゆる女座りのように、あの力強いゲッコウが膝を崩した。
「これは一体、、、ゲッコウ、、」
瞑った両目からは血が流れている。両耳の穴からもだった。それらはすぐに雨に流されて行く。
そして胸と腹には荒々しく深い傷がある。一目でわかる致命傷だった。
「シン様ですね」
「そうだ」
「すみませんが、、もう何を仰っているのか、聞こえませんので、、勝手に話します」
話し言葉ははっきりしている。助かるのでは?との甘い思いがチラと頭を掠めたが、傷の深さが現実を思い知らせて来る。
「本当の三面拳最強は私ではありません。ヒエンです。奴の中に眠る狂気、それを解放したヒエンこそが最強なのです。お願いです。奴を止めて下さい。救ってやって、、下さい」
「ヒエンが!?」
信じられることではなかった。
もちろん、優しげな顔をしていても戦い方には狡猾な部分もあった。しかし、それは戦士なら当然だろう。
反面、手編みのマフラーをくれたり、ケーキを作って来たりと、それ自体は気持ちの良いことではなかったが、気持ちはありがたかった。そんな男だった筈だ。
南斗水鳥拳と紅鶴拳の空舞や足取りは、このヒエンと、その戦いの中から学んで行った。
「ヒエンはどこに?」
既にゲッコウには聞こえていない筈だが、彼の超感覚なのか、話の先を読んでのことか、正確に答えてくれた。

「頼みます、シン様、、、ヒエンを、救ってやって下さい」
「わかった、ゲッコウ。ヒエンを「救う」よ」
ゲッコウは微かに微笑むと、そのまま動かなくなった。後で手厚く葬る、ライデンに向けたのと同様の言葉を胸に呟き、シンは先へ向かった。
ヒエンのいる場所へと。

 

既に陽は落ちていたが、青い光が各所から伸びて辺りを明るく照らしている。
小雨、、、深い谷底から伸びる一本の鋼鉄棒。その上に一本脚で立っているヒエンを捉えた。
シン自身も集中力と平衡感覚を養うために、この谷を幾度も訪れ、この一本の鋼鉄棒の上に立っている。そのまま瞑想し、想念の中で技を試したこともある。

「お待ちしておりました」
狂ったと、そう言われていた割にヒエンの語り口には何の違和感もない。
青い光が照らすその美形な顔にも狂気を思わせるものは見当たらない。
だが、真っ白な筈の拳法着が赤く染まっている。先ほどまでの強い雨でも血を流し切ることはできていない。

「何故だ、ヒエン。何故ライデンとゲッコウを」
「あなたのせいですよ、シン様」
ヒエンは微動だにせず、鉄棒の上に片足で立っている。
「俺の? どういうことだ? 俺は、ライデンもゲッコウも、お前も! 友だと、そう思っていた。何故にお前が二人を手に掛けた!?」
「友?、、、私にとってあの二人は友などではない」
そうか、、、これがヒエンの本心なのか。三面拳と称されていても、ライデンとゲッコウは比較対象とされる邪魔な敵だったのか?

「友ではなく、、、ライデンとゲッコウは兄弟のようなものだった!」
「!」
ヒエンの言葉はシンの予想の真逆を行った。
「あなたの目覚めが遅いからだ!」
「何だと?」
「シン様」
ヒエンの目が急に光を失い、不透明な膜がかかったかのように見えた。
「我ら三面拳は、あなたとの修練を終えて、それで最後は殺される、、、そこまでは定められていたことなのです」
「ヒエン、、」
「なのにあなたと来たら! 我らを友ですと!?」
「お前、、」
「どんな気分です?」
低い声だった。漸くここへ来て、狂気の一端を感じることができた。
「自分よりずっと格下の拳士に教えを乞い、手合わせと称して手加減し、私たちと互角に戦って、、見せていた」
「、、、」
「悔しいですよ。何故私に才能は与えられなかったのか。才なき者故、技を学び、術理に工夫を重ねて、少しずつでも前に進んでいた! そのつもりでいた!」
「ヒエン、、」
「なのに!あなたのような才ある者は、はじめからずっと高みにいて、決して届くことがない!」
これほど叫んでいても、鉄棒の上に立ちながら平衡を失わないヒエンをシンは誇らしかった。
「もし私に才あれば、南斗水鳥拳南斗紅鶴拳も! あのレイやユダなんかより、よっぽど華麗でキレのある伝承者になっていた筈だ!」
「ヒエン、、、」
「どうですか? 限界を設けられる気分は?」
設けられる? 深い意味があるのか、ただの言葉なのか、、、
「才ある者、あなたでさえ、一線を超えないよう仕組まれているのですよ」
ヒエンが僅かに笑った。その笑みはシンと、いや、それよりもヒエン自身に向いているように思えた。
「それが南斗聖拳です」
「、、、」
南斗聖拳も元は北斗から出た流派。結局最後は経絡秘孔に行き着くことになる!」
今更何を言っているんだ?
「それを否定したのが南斗だろう! 秘孔突きなど無くとも戦える!」
「本当にそうですか?」
「何?」
「たしかに、秘孔を突く必要もなく敵を完膚なきまで破壊できる南斗聖拳の方が、実戦には分があると思われるでしょう」
そのことか、、、シン本人が何度も考えたことをヒエンは繰り返す。
一見、南斗聖拳と違い、秘孔を突かねばならない北斗神拳は不利に思える。
しかし、互いに触れることさえ難しい達人同士の死戦なら、浅い一点の突きでも大きな効果を生む北斗神拳にこそ、実は利があるという、最早定説だ。
その上、闘気でも秘孔を撃てるとまで来ている。南斗聖拳にも裂波のような間合いの広い拳技はあるが、精度、効果ともに北斗に及ばない。
しかしだ、それらを全て理解して、それでここにシンがいる。今更何故、ヒエンはそんなことにこだわるのか、、、

「私に力があれば、私が北斗神拳を滅ぼしている。なのに!あなたには北斗に対する怒りも怨みも欠けている! そんなあなたであるならば!期待はできない!」
ヒエンが大きく息を吸い込んだ。
「それならいっそのこと、私があなたを殺し!この時代での打倒北斗は諦めましょう! 南斗聖拳を継ぐあなたが! 真の南斗聖拳伝承者と期待されたあなたが! 醜態を晒すくらいなら、ここで私があなたを殺します!」
何て目付きをするんだ、ヒエン。挑発された怒りなど少しもない。ただ、あのヒエンが「殺す」を繰り返すことが悲しくあった。
恐らく、、、ヒエンは、ライデンやゲッコウと比べて、彼らを超える能力があっても非情になり切れぬがため、敢えてその才を封じ込めていたのだ。
流石に三面拳のライデンとゲッコウである。彼らはそのことを知っていたのだ。
そしてヒエンは自らを滅ぼす決意を持って漸く、彼が封じていた真の力を解放した。
それでもだ、、シンは思い出す。
ライデンとゲッコウに刻まれた傷は荒い。南斗聖拳を究めた者の残す爪痕ではないのだ。
「ヒエン、狂気の威を借りて力を増そうとも、その程度で俺に届くことはないとわかってるだろう!」
きつい言葉だが現実は現実だ。生き死にに深く関わる戦士にとって、自分の力に夢幻を見るということは、紛れのない確実な死に直結する。
「そうでしょうか?」
ヒエンが静かに身体を沈ませ、「哈ァ!」と跳躍した。流石に南斗鳥人拳、空気の流れを掴んで、より高く舞う鷹のようだった。
だが、既にシン自身がこれを超える空の武舞を身に付けている。
「(ヒエン、お前のお陰でだ)」

ゲッコウの言葉が頭の中で繰り返された。ヒエンを救ってやってくれ、、、
ならば!
「倒すことが救いか、ヒエン!」
「フフッ、、だからぁ、もう一度言う。そうでしょうか?と」
と、ヒエンが胸元から取り出したのは彼の得意とする武技、鶴嘴千本だった。
「俺にそんな物が通用すると思っているのか?」
「思って、、ませんよ!!」
ビシュン!
速い。確かに普段の千本よりも速い投擲だった。狂気によって得た氣の力と、狂気に心身を委ねることで放棄した相手を思いやる心。この二つの要素がヒエンの鶴嘴千本に、これまでない鋭さを上乗せした。
だがだ、既に脳の回転速度を上げているシンである。しかもヒエンの騙しのない「投げナイフ攻撃」など、二人の距離からしても当たろう筈はない。
同時に投げられた三本を全て右手のみで掴み取ると、一気に親指でグニャリと曲げ捨てた。雨で濡れた地面に落ちた瞬間の鶴嘴千本は更に細かく寸断されていた。南斗の指が触れたところは全て破壊されるのだ。

「今更流石とは思いませんよ、シン様。こんな物で倒せないことは百も承知! ですがね、私の南斗鳥人拳はほとんど全て!この鶴嘴に依存すると言ってもいい! こんな使い方もある。これが鶴嘴千本の極みだ!」
「な!」
なんと!ヒエンは手にした千本を自分の身体に突き刺し始めたのだ。
「ヒエン、、、本当に狂ったのか?」
「何故お前だった? ここに来るのが何故キサマだった!?」
「何?」
サウザーなら! あいつが最強の南斗鳳凰拳を引っ提げて、我ら宗家を受け入れてさえいれば! 私たち南斗宗家こそ!南斗聖拳の未来をキサマらなどよりもずっとずっと!憂いているのだ!」
「、、すまんな、俺で」
嫌味ではなく、シンは心から詫びた。サウザーがシンのように宗家を受け入れるとは考えにくいのも事実ではあったが、、、

ドズッ!
ヒエンは身体を、腕、肩、太腿、と先ほどのものよりも短い千本で深く刺き刺し始めた。

特に太腿には三本ずつ、やや内側に突き刺した。その出血量もただごとではない。シンが知る由もないが、その計六箇所は北斗神拳で言うところの刹活孔であった。

身体に突き刺さった鶴嘴千本をそのままに、最後ヒエンは自身のこめかみを更に短い千本にて両脇から突き刺した。
「ヒエン、、お前これは?」
「これぞ、、、」
と、言った直後、「う、うう、、」とヒエンが苦しみ始めた。何かが出て来る、そう思わせるような、まるで産みの苦しみのように思える様子であった。

「うぉ、ごおおぉ!!」
ヒエンから放射された氣圧がシンを押す。シンは強い風に対するかのように腕を十字に組んで、その勢いをやり過ごした。
強烈な氣の放射が落ち着いたとき、シンが目にしたヒエンの姿は、おぞましく、そして、それよりもずっと悲しかった。
両目は充血し真っ赤に染まっている。顔は血管が毛細に至るまで浮き出、ヒエンの優しくて整ったあの面影はどこにもない。千本の突き刺さった各部からは血が流れ続け、一部煙となって立ち消えている。

 

「シン、様、、、これぞ南斗宗家極武、、終焉節!」

133.

「そう、、、」

売りを生業としている馴染みの女だった。
つまりはこの時代の女には最も一般的な仕事と言っていい。やや異なるのは彼女は実質的にはシン専属だった、ということだ。
シンも南斗の拳士といえ、女を求める衝動はある。感情が女を求めなくても、自分の肉欲を禁じてはいない。
もちろん、宗家が用意した女たちの一人ではあるが、この女だけが唯一人、気が合うようなところがあり、結局シンはこの女だけを選ぶようになった。
サバサバしているようで、その根っこには砂漠の中に見つけるオアシスのような潤いがあり、それが時折乾いてしまうシンの心を癒すのだ。
もちろん、、ユリアとは違う。似てもいない。というよりも、シンはもう女に慈愛を求めていない。母性を求めてなどもいない。
過去の話だ。
過去は過去で現在の自分を形作っているが、どう考えても自分とユリアは釣り合わないと認めている。
釣り合わないとわかっていたから、力でどうにかできると思った。思い込んだ。もう遠い遠い、遙か昔のことのように思えた。

「ああ、そろそろお前ともお別れだ」
紫のカーテンの隙間から差し込む揺れる光が、女の肌の曲線を優しく撫でる。綺麗だった。
彼らしからぬ思いが込み上げそうになったが、気の迷いだと自身に言い聞かせる。


数日前、、、
久しぶりにバルバがシンの前に姿を見せた。その手には白い布で覆った小さい包みを持っていた。
バルバが丁寧にその布をほどいていき、その中身が露わになる。光沢のある金属製の何かだった。
見覚えがある。
手渡された時、それが何であったかはっきりと理解した。
「これは、ガルダの仮面」
「そうだ」
常にガルダの右顔を覆っていた仮面。バルバの表情はいかにも悲しげだった。
「どういうことだ。ガルダに何が?」
一度、軽い手合わせをしてはいるものの、正直ガルダのことは大して気にもならない存在だった。だが、仮面だけがここにあるという、そのことの原因は気になる。

ガルダは、、」
と話すバルバの顔は、わざとらしいまでに悲しげに作っており、その醜さに苛立ちが増す。だが、今はそんなことに意識を向ける時ではない。

北斗神拳に挑み、返り討ちとなった」
「だろうな」
予想は付いていた。それ以外は考えにくい。数多の英雄たちが去った現在、ガルダを倒せる男は他にもういないだろう。

「何故だ。理由は?」
「わからん。が、恐らく、そなたに先を越されたくなかったのだろう」
「先を?」
ガルダは南斗を冠した拳の伝承者であっても、本人は組織としての南斗聖拳とは別だと言っておった。だがだ、本家南斗聖拳が滅亡に瀕した今、自分が北斗神拳を倒し、新たにまことの南斗聖拳を名乗りたかったのだろう」
「、、、」
「そなたよりも先に北斗神拳に勝ってな」
と付け加えるが、シンは今一つ腑に落ちない。ガルダはシンより年若いとは言え、決して愚かな男ではなかった。自分にケンシロウを超える拳力が備わっているかどうかも理解しない男ではない筈だ。
「挑まれたのであれば、北斗神拳伝承者としてケンシロウめも拒むことはできまい。だとしてもだ、また南斗の血が北斗神拳によって流されたのだ」

おかしい、、そう思いながらも、また北斗神拳に敗れた南斗聖拳という構図がシンを心の奥を静かに揺り動かす。
やがてその静かな揺れはいつの間にか強くなり、気付けばシンは拳を握り込んでいた。
ケンシロウと戦うに至った本当の理由は不明だろう。

だがだ!

南斗聖拳と別物だと言っていたところで、南斗神鳥拳は共通の起源を持った、間違いなく南斗聖拳の、それも六聖拳に数えられるべき最高峰の拳だ。
そして、もう一つの共通点がある。それは北斗神拳に及ばない、という悲しいサダメだった。
とは言えだ、南斗の拳士に挑まれたのであるなら、ケンシロウも無視はできない。
どのように感情に表すべきか、その方向がわからない。

「シンよ。そなたはケンシロウを誤解している。そなたも今となっては北斗神拳ケンシロウを分け、古き友人であるという側面をだけ見ようとしている。だが、よおく思い出すのだ」
「、、、」
「その胸と背の惨い傷はどうやってできた? そこに意識を向けろ。そなたは敗者だ。その上、命をかけて会得した南斗孤鷲拳の奥義を見切られ、奪われておる」
「、、、、、」
「全くバカにしている。ガルダの南斗神鳥拳も既にケンシロウめの数ある小技の一つとなっていよう」

また南斗聖拳北斗神拳の進化に寄与し、南斗聖拳は代わりに敗北者の名を得る、、、そうなのか?
結局、北斗神拳から派生した南斗聖拳は、どんなに足掻こうと本流北斗神拳のために尽くすだけの拳なのか?

「う、、、?」
シンの視野、いや、知覚範囲の末端が疼くような気味の悪い感覚があった。すぐに消え去るが、実に変な感覚だった。
一瞬の小さなその変化をバルバは見逃してはいなかった。だが、あえて触れずに話を続ける。
北斗神拳ケンシロウが、いまだに正しき道を孤独に進む乱世の救世主などと思っているようでは、決して奴には勝てん」
「わかっている。だがバルバ。俺がケンシロウを憎むように仕向けようとも、それは無意味なことだ。怨みも憎しみもないが、俺は南斗聖拳伝承者として奴に挑む」
「まだ勝てぬ。技は全て盗まれると思え。北斗神拳を抹殺するものは、技ではない」
ならば単純に力か?
速さか?
闇で斬れ、、、それが答えであることは知っている。だが、まだ答えには辿り着いていない。

 

 

ケンシロウは闘神だ。人では奴に勝てぬ、、、それがあのジジイの言うことだ」
「、、、雨、、」
雨の気配は感じていたが、思い詰めたあまりか、降り始めていた雨にはまるで関心が向かなかった。
「綺麗、、、、」
緑に覆われた傾くビルのフロアから滴る雨水は徐々に量を増し、そして小さな滝となる。それが至る所で見られるようになり、幻想的な美しさを誇っている。
「私も南斗宗家の女。北斗神拳を憎むように教育されている。きっと、、洗脳されてる。私はね、あの「偉大なる」北斗神拳が憎いのよ」
シンはそう話す綺麗な横顔を見ながら、ある言葉を思い出した。
「拳を究めるとは、人間を究めることだ、、、そう言った男がいる」
恐らく、、俺の南斗聖拳が完成を迎えることはない。完成に向けてどれだけ修練を積もうと、その時はきっと来ない。
「その男もケンシロウに敗れ去った。サウザーでさえ、あれほどの男でさえ、、、人間だった。聖なる拳を持っていても人間。だが奴はその名の通り神の拳を持っているということか」
「ただの、、」
「ん?」
「そんなのただの名前よ」
女はシンの手に触れた。
「私はこの手が北斗神拳を突き抜くのを信じてる」
何気に恐ろしい言葉ではあるが、今は狂気の時代。そしてこの女も所詮は南斗宗家の一人。
何より、そんな彼自身も暗殺拳の伝承者。しかも更なる殺人の技を得ようとしている。 


シンは女を手繰り寄せた。

「別れは近い。だが、まだ今日はその日ではない」

 


「バルバ帝」
「そなたか」
「あの者、如何ですか?」
「近い」
「、、、そうですか」
「奴は扉の前に到達した。あとは、開けて踏み込み、そしてその住人になればよい」
「複雑な思いです。やはり人を棄てねば北斗神拳には勝てませんか」
「聖では神には及ぶまいよ。神と対になるのは悪魔であろう?」
「激しい男ですが、悪魔に堕ちる男には思えません」
「何を言う、、キングは悪魔だったであろう?」
「たし、、かに」
「だが小悪魔だった。多くの命を奪った罪の重さこの上ない男だったが、所詮小悪魔だ」
「、、、、」
「もうすぐ、極上の魔神が産まれる。リハクよ、長生きはするものだ。魔神が闘神を喰らう時を、、我らは見る」

 

 


レイ.25

「謎の男たちか」

複数あるシュウたちレジスタンスのアジト。
その一つで合流した俺は、ユダとの対戦のこと、そして結果的にその戦いを止めることとなった四人の男たちのことを伝えた。
「その中の一人、岩のように大きかった、と」
心当たりがあるのか?シュウ。
「となるともう一人、その大男ほどでないにしろ、やはり大きな男はいなかったか?レイ」
「いや、他の三人は皆俺と同じくらいだった。遠くからだったから、はっきりしたことは言えないが、それほどの大きさではなかった」
「なるほど。そして、そのうちの一人が異様に目立っていたと」
その通りだ、シュウ。見た目が目立っていたのではない。雰囲気だ。他の者たちも異質な氣を感じさせたが、その男は南斗の裂気を放っていた。
「恐らく、、あれは南斗の男だ」
「南斗の、、、、」

あの氣からして、相当な腕の筈だ。その名が知られずにいる男ではないだろう。

「一人、思い当たる男がいる。だが、その男は死んだことになっている」
「シュウ」
「不確定な段階で、その名を言うのは気が早いとは思うが、、、うん?」
シュウの表情が和らいだ。
シュウよりやや遅れて、俺にも足音が近付いて来るのを感じ取れた。若い走りだ。弾むようで、その者の気持ちの昂りが感じ取れる。
コンコン!
急ぐようなノック。しかし、それが深刻な報せでないことは、ほとんど確信できる。
こちらの返答を待たずにドアが開いた。
「レイさん!」
「?、、、、まさかお前は、、、?」
「はい!そうです!」
「シバ!?」
この暴虐に満ち溢れた世界に生きているとは思えないほど真っ直ぐなシバの視線。俺は耐え切れず、一瞬だけ目を逸らした。
「お久しぶりです!レイさん!」
「おお!大きくなったな、シバ!」
それなりに男の顔になっている。戦士の顔をしている。
だが、、、、
暗殺者の顔ではない。

久しぶりの嬉しい再会を果たし、シバが去った後、俺はシュウに訊いた。
「シバには白鷺拳を継がせないのか?」

シバの顔を見れば、南斗聖拳の修練に入っていないのは明白だった。
「そのつもりだ」
「では白鷺拳はどうなる?」
「、、、、」
シュウは暫く無言だった。言葉を選んでいるのだ。それはわかる、俺にもだ。
「息子は、、、私よりも、亡き妻に似ている」
シュウの目を考えるなら、シバの顔は見えてはいないだろう、多分。
多分、と思えてしまうあたりが、シュウの異能さを物語っているのだが、この「似ている」という言葉は、他の多くのことも意味していよう。
「使い途を誤ることのないよう教えても、南斗聖拳の将の一人として、暗い道を歩むというのは、、わかるだろう、レイ」
俺は頷いた。人間の領域を大きく飛び出すことで、何物にも縛られない真の自由を得た気持ちになれる。だが、それはほんの初めだけだ。
すぐにわかる。日が射すことのない、血の匂いで満ちた真っ暗闇の道を歩くのが、南斗なのだと。
怨嗟が荊のように絡みついて脚を取り、振り向けば自分が手掛けた者たちの屍が積み重なって腐臭を放っている。
その死者たちの血は皮膚を通して魂にまで達し、その怨念に満ちた悪臭は鼻腔にこびりついて離れない。
それでも気が狂わないのは、心の訓練の賜物ではあるが、個々の適正と言えばそれまでだ。でなければ、既に狂っていて、それを自覚できていないだけだ。
南斗の道、、こんな時代でも光を失わない陽の男であるシバを歩かせていい道では、決してない。
「義の星を宿命として背負うレイなら、分かると思うが、南斗聖拳としての道を往きながら、仁の、即ち人の道を歩むというのは至難なことだ。矛盾と言った方が正しかろう」
シュウ、、、
「だから私は、そんな矛盾する道を息子に歩ませたくはなかった」
、、、わかる。
サウザーは当然として、あのユダや、既に乱世に散った殉星の男シンのように、人の道を否定して南斗の道を好きに進んでいたなら、さほどの苦痛はなかろう。
シュウは違う。

暗殺拳の使い手でありながら人の道を歩むことの苦悩を、シュウは知っている。背負っている。逃げずに向き合い苦しんでいる。
獣なら獣として生きればいい。獣が人であろうとするから、苦悩が絡み付いて来るのだ。
ならばここで伝承者であるシュウが、南斗白鷺拳を終わらすと言うのであっても、それも止む無しなのかも知れない。
、、、いや!違うぞ!
「シュウ! その苦悩、わかるとは言わぬ! だが!」
俺には子はいない。欲しいとも思ってはいない。だがもし、、もし、この乱世が終わり平和な世界が訪れたなら、そんな俺の考えも変わるだろうか?
「だが、シュウがいなければ、南斗六星は早々に散り散りになり、世界がこうなる前に自滅していただろう」
「、、、、」
シュウが見えない筈の目をきつく閉じている。
「すまぬ」
!?
「何がだ?」
何への謝罪なんだ?シュウ。
「レイ、シン、ユダ、そして姫、、、私やサウザーよりも若い世代の将たちに対してだ」
姫、、か。シュウはまだ幼い時分のユリアを、姫と呼んで可愛がっていたと聞く。元々感情を持たないと言われていた少女に、心が戻ったきっかけは果たして何だったのか。

ユリアは南斗の将の中で最初に散った。南斗慈母星の役割を果たすことなく、同じ南斗の将シンによって命を散らした。

だが、それは決して、、、
「シュウ、、、六星の乱れはシュウの責任ではない」
「いいや、実力では文句なしの南斗の将であっても、まだ若いことには変わりがない。若さを侮る気はないが、やはりそれでも若さというのは、時に脆いものなのだ。若い故にこそ、その力の向かう先は変わりやすい」

六星の崩壊を防げなかったと、シュウは再度俺に詫びた。

「やめてくれ、シュウ」

導師の役割がいなければ乱れてしまう、そんな程度なら南斗の将というのは、所詮その程度なだけだろう。シュウが負い目に思うことではない。
、、、、本来、、、、、

俺はシュウが言うこの若さで世を去っていた。シュウの言葉を実感できるほど、俺は生きられるのだろうか?
平和な世界で子を作り、育てる時はあるのか? その時、俺の隣で一緒に我が子を見つめる女は、、誰なんだ?
「すまん、、変な話になった」
いいさ、シュウ。あなたにもそんな時はあるだろう。
「ところでだが、レイ。さっきの話だ。不確定な段階とは言ったが、恐らく、、、恐らくその男はシン!」
「何!?」
シン、、、実際、俺は奴のことをよくは知らない。
良くも悪くも噂では散々聞いているが、奴が生粋の南斗聖拳組織の男であるのに対し、俺は外部の出身だ。孤鷲拳と水鳥拳の関わりも疎遠であったため、余計に俺は奴を知らない。
いや、そこじゃない。問題はそこじゃあない。
奴はケンシロウとの死闘の末に敗れ、自ら命を断ったのではないのか?
「シンは死んだのでは?」
深刻な話の最中に駄洒落みたいなことを言ってしまい、俺は何となく恥ずかしいというか、申し訳ない気持ちになる。
「シュメの腕利きが関与したらしい。シュメの中でも一二を競うほどの手練れという話だ」
「そのシュメが救ったと?」
「もう一つ気にかかることがある。その時に見たという大きな男、、、、」
この時代、、、化け物のような大男は思った以上に多い。恐らくその多くが、元は秘密施設の実験体だ。
ケンシロウが倒したという羅漢仁王拳の化け物は特例中の特例としても、牙一族の王であったり、カサンドラ獄長のようなサイズの人間も、いるにはいる。
「いや、いい。忘れてくれ、レイ。憶測で語っても仕方がない。今我々に必要なのは現実への対処だ。希望的観測は絶望的結果になりかねない。希望は一つでいい」
希望、、、北斗神拳ケンシロウか。
あのヴィジョン、、、シュウが矢で射られ、トドメの大槍で貫かれるあのヴィジョン、、、予知なのか、あちらの世界線での未来なのか、それを知る術はない。
とにかくだ。あれを起こしてはならない。現実にしてはならない!
とは言え、ユダがあそこまでの力を手にしてサウザーの下に付いた。拳王には泰山天狼拳のリュウガがいる。他にもかなりの猛者はいるかも知れん。
こちらはどうだろう?
シュウとてラオウには敵わないであろうし、サウザーには勝てないと言い切っている。兵力の規模も比較した場合、言ってみればゴミのようなものだ。
やはりケンシロウだ。ケンシロウを探し出すのが急務だ。それをわかっていても、例のヴィジョンのせいでシュウの元を去ることができない。
どこにいる?
どこにいるんだ、ケンシロウ

この南斗の乱れに、北斗は姿を見せないのか?

132.

「そろそろ時間の筈だが」

自動巻きの腕時計を見て、ガルダは一人呟いた。口調からすれば毒付いたに近い。
瓦礫が散乱したビル内の一角だが、外を通る道は広く、その見通しは悪くない。それでもガルダと待ち合わせた、あの連中の姿は一向に見えない。黒いローブの薄み気味悪い奴らのことだ。
途中で賊にでも襲撃されたか?
それならそれで、むしろそれは良いことだ。

突然、機械音がすると意味不明なモニュメントの据え置かれた床が盛り上がった。綺麗な四角形をした面が浮き上がり、それが上昇を続け、現れたのは、なんと今では動く様子を見ることもなくなった電動のエレベーターだった。
扉が開くと例のローブの男たち三人がガルダの前に現れた。
「こんな仕掛けがあったとは」
と、ガルダは皮肉めいた言葉を発した。
この時代になってからの物であるとは考えにくい。今は見る影もないが、繁栄の極致にあった旧世界の頃から既に設置されてあったのだろう。有事に備えて、ということだろうか。
こうして彼らはきっちり時間通りにガルダの前に現れた。その三人の中央の男、そのローブは黒ではなく、実際にはほとんど黒ではあるのだが、微かに赤が混じった毒々しい色をしている。このローブを身に付けているのはガルダが知る中では一人だけ。

「久しぶりだな、ガルダ
「あんたか。わざわざバルバ「殿」が姿を見せるとは、それなりの訳はありそうだ」
「私は忙しい。もちろん訳ありでなくては、こんなところまでは来ん」
こんなところ、、辺鄙な場所のことを指すよりも、ガルダと会う、ということに対しても大きな意味はないと言っているようで、嫌悪感が増す。
「あの男が期待に添えなかった。というところか」
あの男、つまりシンは南斗聖拳のまことの伝承者になるには至らなかったのだろう。そうガルダは予想を口にした。
「逆だ。思わぬ拾い物だ、あの男は。しかしまだ足りぬ」
「なるほど。俺に奴の相手をしろということか」
「それであれば私がわざわざ出向くことはあるまい? 私が来たのには、もう少し面倒なお願いがあるからだ」
「お願い?」
俺とて南斗六聖拳に匹敵する、いや、本来なら六聖拳である筈の南斗神鳥拳の拳士だ。正統血統慈母の星などが降臨しなければ、俺は亡星ではなく、別の星の名を背負うことになっていた筈だ。

 

実際には、仮に慈母星ユリアが降誕しないにしても、もう一人の正統血統者リュウガがいた。

しかし、そのリュウガはサウザーの策略により冷遇され、南斗の内乱を恐れたリュウガたちの後見人であるダーマが北斗神拳伝承者リュウケン泰山寺への口利きを頼み、そうしてリュウガは引き取られた。

一方でガルダの故郷は叛意ありとの根拠のない疑いをかけられ、サウザーによって滅ぼされている、、、ことになっている。

何もかもサウザーが悪い。しかし、憎むべきサウザーを倒すにしても、若いガルダは自身の流派南斗神鳥拳の奥伝に達する前で勝ち目はない。

元斗の男ガルゴに師事することで奥義を得たが、その時サウザーは既にケンシロウによって敗れている。

ガルダの鬱屈とした思いは晴れないが、南斗神鳥拳を究めたとて、南斗最強の鳳凰拳、しかも破格の男サウザーでは元々勝ち目は薄かった。

それを内心認めているところがある。認めざるを得ないところがあった。

 

バルバの無思慮な言葉には腹も立つが、彼の苛立ちは自分と、そして先代伝承者である母の不遇に対する怒りも混じり込んでいる。
しかし、どうであれ人質を取られた身では強くも出れないのが悲しい現実だった。
人質と言っても、この時代にあっては嘘のような贅沢で安全な暮らしを提供されている。ガルダが従順であるうちは、愛する者や親しい者たちを失うことはない。
それにしても「お願い」とは、相変わらずこの男は俺を舐めている、、、と毒付いてもその「お願い」を断ることはできない。強要と何が違うのか。

「そうだ。今回のお願いは楽ではないぞ」
「だから何なんだ?」
苛つきを隠す気もないガルダが問い返す。
「フッフッフッ」と低く笑ってバルバは言う。
北斗神拳と死合え」
「!」
北斗神拳を倒すのはこいつらの悲願。しかも南斗の拳にてそれを為すことに意味がある。その南斗の拳の使い手こそが、あのシンである筈だ。
シンを思わぬ拾い物とまで評価しながら、俺に北斗神拳との対決を命じるとは?
「シンがかわいくて手元に置きたくなったか?」
真相を知るよりも先に嫌味で返すガルダ。対するバルバの言葉は、意外且つ冷酷なものだった。
「そなたが北斗神拳に勝てるとは思っていない」
「何だと、、」
「少しも思っておらぬ」
これには腹立ちを超えて怒りも湧くが、相手があのケンシロウとなると、確かに勝利するのは容易ではない。
噂によると、、、と言うよりも情報源からすれば単なる噂ではなく、ほとんど正確な報せを受けている。ケンシロウはあの修羅の国を制覇し、現在その力は神の域にあると。
修羅の国そのものは崩壊して当然の無茶苦茶な制度が敷かれた、国体を為していない名前だけのものだったらしい。だがケンシロウはそこで苦しむ民を救う為に海を渡ったのではない。
言ってみれば奴の私用だ。天帝の片割れを救うという大義名分があったにしても、人様の国を掻き回しておいて、後は知らんというのは、如何にも北斗らしい。
まさに北斗現るところ乱あり、だ。

「そういうことか」
怒りを抑えてガルダは言う。
「勝てぬなら、せめて腕の一本でも取って来いと」
「それさえも期待はしておらぬ」
バルバの言葉にはまるで遠慮がない。
「負けてよい」
この言葉にはガルダの怒りも吹き飛んだ。
「どういうことだ。俺と戦えば、ケンシロウは更に俺の拳を吸収して大きくなる!」
バルバは「本当にそうかな?」というような顔を見せた。流石にそれを言葉にするのは憚れたのだろう。
「奴めは既に元斗皇拳も見切っておる。そなたの南斗神鳥拳は南斗の中でも元斗寄りの拳。今更北斗神拳がそなたの拳に何かを見るであろうか?」
ガルダが南斗神鳥拳の奥義に達するのには、確かに元斗の男ガルゴの拳を見る必要があった。
だが、南斗神鳥拳は決して劣化元斗皇拳ではない。速さと鋭さと、そして空中での優位性の追求は他の南斗聖拳と同様だ。
ガルダ自身はサウザーを中心にした、いや、サウザーが中心となった南斗聖拳組織には恨みもある。
であろうと、彼もまた「南斗聖拳ではない」、亡星の南斗聖拳の使い手であるという特異な立場ながら、強者としての誇りは有している。
その自らの誇りである南斗神鳥拳を虚仮にされたようでガルダの感情は昂る。格下に見られていることに我慢がならない。これを抑えられるのは、やはり人質たちを思うからである。

「負けてよい。それでシンの北斗神拳に対する憎しみが増すのだ。それで良い。いまだにシンの北斗神拳への怒りと憎しみは不足している。これではシンは次に上がれない」
「奴は、、シンは仕上がって来ているのか?」
「もう少し、と言ったところか。本人は自覚しておるまいが、既にそなたでは全く以って敵わないであろう」

気に入らない。あのシンに差を付けられたのか? そして、こんな不気味な男の糞みたいな野望のために命を捧げろと?

「この願い、受け入れてくれぬか?」
と、バルバは薄ら笑いを浮かべて見せる。今日のバルバは顔色がいい。両脇で立ち尽くすだけの供の者たちも同様だった。
ガルダは目をきつく閉じ、暫くして「わかった」とだけ答えた。
愛する者との別れはいずれ来る。それが遂に訪れたのだ。
しかし、ガルダがこの世を去った後も、人質に取られた者たちの暮らしは保証されるのか?
そういうことにはなっている。
だが、それこそそんな保証はない。どこにも転がってなどいない。探しても見つかる当てはない。

「もし」
「ん?何だガルダよ」
「もし、俺がケンシロウを倒せば、それならそれでいいのだろう?」
バルバは供の男に目で合図すると、男はエレベーターのボタンを押してドアを開いた。
後方に振り返りながら、バルバは背中越しに言う。
「そこまで期待はしておらぬ」
エレベーターのカゴの中で見せる、反吐が出るような薄ら笑いは重いドアに遮られた。
エレベーターが下がり、床面は全くの元通りとなった。
南斗神鳥拳の伝承者ガルダでさえ、南斗宗家に逆らうことができない。というよりもバルバに逆らうことができない。
南斗神鳥拳という有り余るほどの力を持ちながら、たった一人の老人を討つことができず、そればかりか理不尽な命令を下され死地に赴くことになった。

ケンシロウ、、、、、
奴と戦う、、、それを思い、ガルダは背中が寒くなるのを感じだ。
ガルダは自らを「熱く」するため、メラメラと輝く炎の氣を纏い、決意を胸に歩き始めた。