暖かい、、、暖かい、、、、
温かい光に包まれていた。
ゆっくりと目を開く。その先にはこの世のどの光よりも優しい輝きがあった。
不思議と身体中の痛みが引いて行く。
「ユ、ユリア、、か」
シンはその心地良さに抗うこともできずに目を瞑った。
眠りに落ちるというよりも、羽のようにやんわりと、まどろみの中に降りて行った。すぐに深い眠りへと誘(イザナ)われて、、、
目覚めた時、そこに赤い髪の男が立っていた。
「ジュ、ガイ」
部屋ではない。草叢の上に寝せられていた。身体中に手当てが施されている。
「ジュガイ、、お前が?」
「いや」
ジュガイはシンに目を落とすことなく低い声で言った。山の中腹から見下ろす先は南斗の隠れ里。
「じゃあ、、ユリア、か? あれは夢ではなかったのか」
自然とシンの顔も優しく緩んでいた。シンの問いに対し、ジュガイは肯定も否定もせず、思いがけないことを言った。
「あの女はやめておけ」
「何!?」
ユリアを「あの女」呼ばわりされた。名もないような雑魚なら、突き殺していたかも知れない。しかしそこは同門孤鷲拳の男。この有様では返り討ちだ。
「ユリア、、ああいう女が一番危険なんだ。ああいう聖女こそが、周囲を巻き込む最も禍いとなる悪女なんだ。
残虐だの性酷薄と恐れられ、眉をひそめられるお前にだって、傷付き倒れていれば救いの手を伸ばさずにはいられない」
「、、、」
「自分が天性の悪女だなんて、、周りの男どもを惑わす最悪の女なんて、、ほんの僅かにも思ってはいない。
いつだってああいう女こそが危ないんだ。あいつを中心に禍いの渦が生じ、男たちは翻弄された挙句に破滅へと引き摺り込まれて行くんだよ」
それがどうした? 俺ならユリアを幸福にすることができる! 周囲の男どもだと?蹴散らすまでだ!
しかしそれを言葉にするにはあまりに惨めな姿であった。
「俺は」
ジュガイが続ける。
「南斗孤鷲拳の伝承者だが、南斗六星は辞退する。と言うよりも、それが「上」の意向のようだ。俺よりもシン、お前だとよ。噂だが、本当のことだろう」
杞憂だった。
ともに南斗孤鷲拳を身につけ、その実力は拮抗。シンより年長という理由で先に正式な伝承者となっているが、二人の伝承者をシンには許す気はない。
南斗孤鷲拳、、、単にその伝承者となるだけでなく、南斗聖拳の最高峰六星の一人に数えられる栄誉なのだ。
栄誉どころではない。裏側の世界に遍くその影響力を持つ南斗聖拳のトップともなれば、その権力も権威も計り知れない。
それだけに、久しく顔を合わせていないジュガイがこの機に現れたことが、シンに要らぬ憶測をさせた。
もっとも、シンはジュガイが自分を差し置いて六星になれるなどとは思いもしていない。いずれその座をかけて戦うべき相手と、そう思っていた。
「南斗とは縁は切れぬが、俺はここを出る。そして、、、いや、いい」
シンが怪訝な顔で見上げたジュガイの顔は、、優しさを帯びていた。だが、そんなものを見てもシンの心には何の感銘もない。何も響かなかった。
その微笑の意味を読もうともせず、単に六星の座をシンから奪うことができない弱者、という程度にしか思えなかった。逃げる言い訳を思いついたのだろう、と。
そんなシンの思いを他所に、兄弟子は言う。
「帰れるだろ?」
一人で戻れるだろ?との問いだった。かつての良き兄弟子の頃のジュガイがそこにいた。しかし、シンがジュガイの肩を必要とするわけはない。
それだけ言うと、ジュガイは去って行った。その後ろ姿がジュガイを見た最後となった。
「そうだったな」
ケンシロウは深く険しい目でこっちを見ている。スキを探している。どうやって秘孔を突いてやろうかと考えている。
「ジュガイもキサマに、、」
「、、、」
「何を押し黙ってやがるんだ、、、ケンシロウ、、、ケンシロウ!!」
シンはリュウケンに見せつけられた北斗神拳の力を恐れている。そしてラオウ、トキという優れた拳士を差し置いて伝承者となったのがケンシロウ。
とは言え、ケンシロウの拳技があのリュウケンに並ぶとは到底思えない。ましてやシンには狂気に身を委ねた勢いがあった。
それでもユリア強奪の際、シンはケンシロウを襲うにあたり「空」へと誘った。空は南斗聖拳の絶対領域。空では七星点心を使えないとの判断だ。
今、ケンシロウがあの奥義を使っているとは思えない。闇夜で使い、肉眼を鈍らせた状態でこそあの奥義は奥義たる真価を発揮するはず。
まさに暗殺拳の極みなる秘技。
それでもケンシロウの動きは読みにくい。だが、あの時ほどに混乱させられるわけではない。
死角? 人間の動作にそんなものが、しかも七つもあることを知る者が南斗にいたか?
だがな、ケンシロウ! 俺は知っている。知ったのだ!
キサマの師リュウケンの甘さが俺にそれを教えたのだ! 師の咎を贖うのは弟子にして次の伝承者であるキサマだ!
リュウケン、、、その神技に畏怖した過去の自分への怒り。惨めにも声をあげ、這いつくばった恥辱。
南斗孤鷲拳伝承者の認可を得る直前の思い上がった自分を徹底的に「わからせた」リュウケンへの恨み。
もちろん、リュウケンは個人の怒りよりも南斗聖拳との深い関わりと、そしてシンの将来性を慮って、その罪を赦している。
荒くれた残忍な若者だが、言ってしまえば元からこのような世界の住人。「力」を得たばかりの頃にはよくある過ちなのだ。
一言で間違いと言うにはあまりに重い件ではあるものの、弟子のジャギと比較すれば性根は腐っていない、と。
そんなことを、当時のシンが知るはずもない。「罰せられた」ことは理解しているが、今以て惨めな様を晒したことは忘れていない。
そこに更に上乗せされるのは、今やかつての良き兄弟子としての記憶が勝るジュガイが殺されたその怨み。
ケンシロウとジュガイの間に何があったかは知らない。予想するにそれは拳士として戦いの結果であろう。
もちろん後には、ジュガイが妻子を喪い闇に堕ちたことも聞いている。
であれば、ケンシロウが自ら望んでジュガイを手にかけたのではないだろう。北斗神拳の宿命が導いた結果というところか。
「だが!」
思わずシンは声を荒げた。
であろうが! ジュガイが、南斗聖拳が、、その誇りを奪われたのだ。犯されたのだ!穢されたのだ!
まだある。ジュガイとの一戦で南斗孤鷲拳を見切ることで、シン自身との再戦には、はじめから有利な立場にいた。
ジュガイのことなど一言も触れずに、、、
この男は、、、、!
あの気に入らないサウザーの顔までもが浮かぶ。どこまでも傲慢で、しかし南斗聖拳最強と称されるに相応しい力を持っていた。
ザワ、、、南斗は敗れた。数にては圧倒する南斗聖拳の量が、北斗神拳の質に敗れた。ザワ、、ザワ、、、
人間の死角は消せぬか? それが人間の限界であろうか? 北斗神拳はそれを知り、そこを突く。
簡単だ、、、キサマは死角にいる! 死角から来る!
この真昼間では暗殺拳の奥義七星ナントヤラも効果は薄かろう。有り難くも教え示された弱点を俺が放置しておくとでも?
南斗聖拳がそれを放っておくとでも!?
「うんぬぉ!」
ブオ〜!
「これは!?まさか!!」
ブン!!
「!!!」
シンは右側から近付き間合いを割る寸前のケンシロウを見ずに、左中段の回し蹴りを放った。
この拳技の至高者のみが立てる舞台にあって、単発での足技はリスクが高い。しかし、不意を突かれたケンシロウの反応は遅れた。
ケンシロウのスキを誘ったもの、、、それは黒い闘気。いや、違う。黒の合間に銀色の光があった。魔闘気を制した南斗聖拳シンの闘気だった。
両腕でシンの蹴りを受けるケンシロウだが、南斗聖拳の速さと力と、これに上乗せされた魔闘気による一撃がケンシロウを撃った。
「ぐっ!」 ドン!!
ケンシロウが背後の壁に激突し、その衝撃で崩れた壁が遥か下方に落ちて行く。
「浅かったか、、ケンシロウ?」
意味は真逆だ。間合いは深かった。シンの蹴り足は足首と脛の間でケンシロウを撃った。通常の蹴り技とは違う。言ってみれば刀の柄を、ケンシロウは受けている。
ほんの少し間合いが遠ければ、それは「深い」間合いとなっていた。
噴き出ている魔闘気が放出をやめる。
「怒りと憎しみに狂わされ、自制もできない拳だと思うか?」
北斗琉拳を見てはいない。だが魔闘気はバルバに味わわされている。あれがきっと汚物の味だ。そんな汚物と「聖」が連れ合うか?
聖とは言え血塗れてはいる。だが、この舞台まで来たんだ。愚かしく穢れていては、ここに立てまいよ。
「キサマが知ってる南斗聖拳は過去のもの。今日の南斗は昨日よりキレている!ケンシロウ!」