黙って向かい合う、二人の至高なる拳士。北斗神拳伝承者と南斗聖拳伝承者。
ケンシロウは重い沈黙を守ったままだ。暗殺拳同士の対決とは言え、拳法家の戦いだ。始まりの合図なくしては始まらない。
合図と言っても、二人同時の合意の瞬間があればいい。その時はまだだ。
沈黙合戦ともなればシンに勝ち目はない。元より挑戦者。どっしり構えていてもいい王者の態度は選べない。
それに、全てを出し切り全てを賭けるこの戦いに、ほんの僅かな迷いや心残りがあってはならない。
戦う前のこの濃密な沈黙を敢えて破り台無しにしたとしても、どうしても言っておきたいこと、どうしても知っておきたいことがあった。
「今更、、」
シンが口を開いた。今更気持ちはない。引きずってもいない。しかし、ケジメたかった。
「ユリアへの思いはない。あれは俺には相応しくない。大した女だった。賢さもある。自然と、強く最高の男の隣に立つ」
「、、、」
ケンシロウは無言だった。だがわかる。無視でもない。むしろシンの気持ちを汲み取ろうとしているほどだ。
悲しい目だな、ケンシロウ、、、
「ユリアは幸せだったか?」
「、、、、そうだったと、思っている。短いが幸福な生涯だったと」
低く良い声だ。そして優しさがある。今は亡き愛した女ユリアはケンシロウの「過去」ではない。今以てケンシロウの中に生きている。
その短い年月、間違いなくケンシロウはユリアを愛していたのだ。雄大なる緑の大地に温かい風が吹く。そんな大きな愛で。
シンにはやはりユリアを幸せにできなかったと確信した。ケンシロウは土と緑の大地のような男。一方でシンは激情型の炎の如し。
強い人は優しい、、、そんな言葉が真か嘘か。或いは誇張か。真実なら最強の男は最も愛深き男ということになろう?
この朴訥とした男がか? しかしその怒りはまさに大地の怒りだった。シンの焼き尽くす炎よりも、もっと激しく、強烈に破壊的だった。
「そうか、、」
ユリア、、、美しく、そして強い女だった。
拳士は拳の強さでのみ語る。力なくしては発言力さえ持てない。精神の強さも重要だが、一に力だ。
ユリアは違う。それこそ戦えば、ただの暴徒にもいいようにされよう。その弱さの中にあっても打ち出せる強さが、ユリアにはあった。
少しだけ、シンは恥ずかしくなった。だが言わねばならない。
「すまなかった」
ケンシロウが僅かにシンを刮目した。そしてフッと優しく、しかし再び悲しそうな目をした。
「北斗神拳伝承者に相応の力なくば、それを打ち倒し戒めるのは南斗聖拳の役目だ」
ケンシロウは暗に気にするなと言っているのだろうか。
だが、それもそうだろう。
シンの襲撃はケンシロウにとっても決して小さなことではないが、北斗神拳伝承者として甘さの残るケンシロウを戒めた大事件と言える。
まさにあそこからケンシロウの北斗神拳伝承者として真の歩みが始まった、と言っても言い過ぎではないのだから。
だが、ケンシロウはその後にシンを上回る強敵たちと戦い、これらに勝利している。
南斗聖拳の帝王サウザー、北斗神拳の長兄ラオウ、元斗皇拳のファルコ、更には海を隔てた先にいるもう一つの北斗との死闘。
一代にしてこれほど苛烈な経験をしている伝承者は恐らくいない。噂では先代リュウケンの兄、これも北斗神拳のまた一つ先代の伝承者だが、
ケンシロウと同じ名を持つ拳志郎も流派様々幾多の強敵と拳を交えたと聞く。
しかし一つ、、、このケンシロウは、その拳志郎やリュウケンと比しても異なる点がある。
それは、、、、、負けたことがある、ということだ。
シン自身とサウザー、ラオウにもレイの横槍がなければ死んでいたと聞く初戦。そして、シンは知らないが修羅の国にてもう一つの北斗の男カイオウに。
この特殊な「業界」にあって敗北を喫しながら命があるということ、、、、この特異な経験がケンシロウという男を最強たらしめている。
そしてそれは、彼自身もそうだった。ケンシロウの復讐、元斗皇拳聖穢の戦士ガルゴ、そしてもう一つ。まだまだ若かりし頃のあの、、、
そのもう一つの経験が役に立つか否か。自分がそもそもケンシロウのレベルに程遠いようでは、結局無意味なままで終わるのだが、、、、
不思議なものよ。シンは心内で笑った。
天才だ何だと持ち上げられても、結局は敗北を複数経験した「弱者」二人。
その一人は最強という孤独な舞台に立ち、もう一方は遅れはしたが、同じ高さに遂に立つ。
「だがケンシロウ、、南斗聖拳は北斗神拳に対しては陵辱の歴史と言っていい。伝承者としてそれは受け入れ難い」
フツ、、フツ、、とシンの温度が上がって行く。
「いや」
「?」
「南斗聖拳に乱れある時、そこに現れ正すのも北斗神拳のサダメ。北斗神拳伝承者が強く、そして南斗聖拳に乱れなくば、互角として戦いはない」
「南斗聖拳に乱れがあったから負けたと?、、フッ、そうではないだろう」
「、、、、」
南斗聖拳に一定の限界線を張り、秘孔点穴の秘術に達しないよう画策したのも北斗神拳だ。綺麗事は一切通用しない世界。
南北互角と称されていても、実際は北斗神拳だけが常に最強だった。南斗聖拳から観ても、北斗神拳は至高の存在だった。
「それに、、乱れた南斗聖拳が弱いなら、この戦いは俺の負けではないか。完全な北斗神拳伝承者に挑もうというのだ。乱れている。乱心だ」
よく喋った。やはりケンシロウは南斗聖拳に対する北斗神拳であり、かつての恋仇であり、、、友だった。その友を自らの拳で撃ち貫こうというのだ。
何て「世界」だ。だからやはり、今日この時しかなかった。
もうシンは友と戦うことなどできなくなる
「カハァ」
シンは呼吸を調えた。もちろん戦闘用の呼吸だ。そしてケンシロウを拝むようにして左手を上げ、その掌に右拳を当てた。
「南斗聖拳奥義!天帰掌!」
何故にこんな技とも呼べないようなものが、奥義とまで讃えられるのか、、、今は理解できた。
ケンシロウもこれに呼応し、マントを脱ぎ捨てると全く同じ構えを取った。右の拳が左の掌に触れた時、気のせいか、何かが変わった。
何が変わったかがわからない。闘気が両拳から出たでもない。
「フッ」
シンは笑った。全く底が見えない男だと。その懐に深い闇があるかのようだと。
だが思いは込めた。天帰掌の構えに嘘偽りはない。敗れ命を落としても怨むような気持ちはない。
それどころかこれほどの男、北斗神拳伝承者相手に、こちらも南斗聖拳を極めて挑むのだ。自身が誇らしかった。
加えてケンシロウが、仮にそれが儀礼上のものに過ぎなかったとしても、同じく天帰掌にて応じてくれたことも誇らしい。
これでいい。もう「障害」はない。全てを出し切ればいい。全てを出して尚、受け止めて力余るほどの男だろう。
シンは口元に笑みを浮かべたまま、天帰掌の右手を内側に捻り込んだ。
彼なりの諧謔を込めた行くぞ!の意思表示だ。