妄想北斗の拳

妄天の拳です。北斗の拳のイフストーリーを南斗聖拳シンを中心に妄想してます。

177.

その日、師父は慌しかった。北斗神拳伝承者リュウケンを招いていたからだった。

リュウケンに対しては、技においても人格においても、ほとんど敬うほどの思いを、師父は抱いていた。

いわゆる親北斗派であって、その中でも最も先端にいるような男である。

本来ならもう一人の弟子であるジュガイもこの場にあるべきだ。だが、ジュガイは見聞を広める、と里を出て行って以来、数ヶ月も音沙汰がない。

それも加わった故に師父は必要以上の慌しさでリュウケンへのもてなしに精を出していた。

 


若きシンは日中(ヒナカ)に見た、北斗神拳伝承者リュウケンの岩砕きを思い起こしていた、繰り返し何度も。

思い起こすというより、勝手に脳内でリフレインしている。煩わしかった。

、、、、、

目の前の岩、正確にはコンクリートブロックを、シンは斬撃や貫手ではなく、敢えて掌にて爆ぜさせ派手に粉砕した。

ケンシロウも見事に岩を破壊したが、その前に上っ面をコンコンと叩き「秘孔」見つけ、それを拳で打った。

リュウケンは違っていた。

南斗聖拳の純粋な破壊力とは違う、それでいて強烈な氣。加えてその氣が発動する前の静けさも思い起こされる。異質すぎた。

シンの破壊した岩は前方に弾け跳んだが、リュウケンのそれは一瞬内側に圧縮するようにして、そして真下に崩れ落ちた。

南斗聖拳北斗神拳の氣、性質の違いと言ってしまえばそれだけの話。それでも腑に落ちない。漠然とした疑問が視界から消えない。

破壊専門ではない、経絡秘孔頼りのはずの北斗神拳が見せた完全なる破壊現象。若いシンの眉間に寄った皺が解ける気配はなかった。

一方で彼の師父としては、そんな様子を見て北斗神拳伝承者を招いたことが望んだ結果を生み出したと、胸を撫で下ろしていた。

まだ年若きシンだが、その武威は既に拳の師である自分をとっくに超えている。

教え授けるべきは「力」だけではないが、力こそが全ての世界にあっては、師父の言葉に宿る説得の力も乏しい。

シンの兄弟子ジュガイでさえ、武に携わった年数に差はあれど、その実力は既に拮抗。

一子相伝ではない南斗孤鷲拳の継承者としてではなく南斗六星の座をかけた競合者、いや、敵と言ってもいいように思えていた。

故に今、ジュガイはシンとの接触を避けている。或いは二人の次の出会いが、もしや、、とまで考えていたのである。

老いた自分を超えたところで、、兄弟子ジュガイを超えたところで、、まだ上には上がいる。

南斗六聖拳の一つに数えられる南斗孤鷲拳は流派の力としては相当なものだが、最強ではない。

シンの若さを別にしても、あのサウザーにはまだ遠く及ばない。サウザーの力を考えれば、その後もシンが南斗聖拳最強になる道は険しかろう。

拳の師父として、彼は自分よりも遥か豊かに才能に恵まれた弟子シンを案じた。

何より、他にもまだいる「上」の存在、、、そう、強大無比な北斗神拳がいる。

彼とリュウケンの関係は良好であり、物理的な距離の近さからも親交は深い。

ジュガイが北斗の弟子たち即ちラオウやトキたちと会うことはまずないが、シンは違う。

特に末弟ケンシロウとはどういうわけか、気でも合うのか、或いは南斗聖拳に対する北斗神拳として、同じ年齢のせいか意識しているようであった。

指突一つにしても、究めるまでの道のりは長い。それをリュウケン殿が、、私ではなく北斗神拳伝承者殿に示してもらった。

これで弟子シンも思いを新たに自身の拳を見つめ直し、南斗孤鷲拳の名に相応しい伝承者となろう。

そして恐らく、南斗の頂点の一人としても。そうなれば、シンほどの才に恵まれなかった彼の名も上がろう。これは野望にも似た師父の願望だった。

 


壮絶なるリュウケンの岩砕き、、師父の狙いは当たりの目を出した。だがシンのその後の、それもその夜の行動、いや兇行までもは読めなかった。

自分よりも上の者など認めない。

まだサウザーや盲目でも衰えのないシュウがいる。北斗にもラオウやトキのような厄介な奴らはいる。だがあくまで、、「まだ」だ。

若さと南斗孤鷲拳の力を持つシンの心は傲慢さに取り憑かれていた。

そう遠くないうちに次代に北斗神拳を譲るリュウケンごときに、拳の武威で驚かされたことが気に食わない。

リュウケンは今夜、この里に留まる。その屋敷も聞いている。ケンシロウは既に里から退いている。師父との軽い会合の後は、、、一人。

正確にはオウガの者たちが屋敷のみならず、その山ひとつ丸々警護にあたっている。

だからどうした?

我が南斗聖拳の前には物の数ではない。

 


シンは牙を研ぎ澄ませたまま、夜の訪れを待った。