「こうなってしまうと、あの南斗宗家宗主というのも、、、」
蝙蝠は綺麗に真っ二つに裂かれたバルバの亡骸を、汚物を見る目で一瞥した。
人の死骸も汚物といえば汚物ではあるが、蝙蝠の視線にはバルバに対する私怨と侮蔑の色が濃く映っている。
「助かった」
シンは呟くように言った。
「何がです? 私の助けなどなくてもこの結果じゃないですか」
「、、、」
シンも二つに分かれたバルバの死骸を見下ろした。
「それよりも、この命投げ出してシン様をお救いする気でしたが、、」
蝙蝠は不思議と寂しそうに笑う。
「いや、、助かった」
「何がです?」
実際、寸前、、だった。
シンは決して引き返せない一線を、危うく越えるところだった。
「お前の姿が見えなかったら、俺はきっと、どっぷりと闇に踏み込んでいた。踏み込んだら最後、その一歩が底無しの深みに俺を堕とした」
「はあ、、」
「蝙蝠、やっぱりお前は俺の恩人だよ」
「そんな、やめて下さいよ、シン様」
「だが、、」
蝙蝠は珍しく黙って、シンの続ける言葉を待った。
「堕ちなかったが、闇を見た」
「、、、」
上手く言えなかった。シン自らの内情を表すには足りなかった。
それでもニュアンスは蝙蝠に伝わっている。蝙蝠は最高の言葉を、少なくとも本人はそのつもりで返す。
「死んでも、死ななかったですね」
「そうだな」
とシンは微笑んだ。
「死んでも、死ななかった、か、、、」
何かが引っかかる、そんな気がした。或いは、何かのヒントではないか、と。しかし、釈然としないままでは気分も悪い。
シンは思考を切り替え、再び二つに分かれた汚物を見つめた。先よりも干からびている。
その血はドス黒く、ありとあらゆる悪臭がその断面から漂い上がっていた。
仮に氣眼で見れば、禍々しい呪詛がいまだに半分ずつになった黒い穴から呻き出続けるのが見えるのでは、とさえ思えた。
「バルバ、感謝はする。ここで学べたことが俺を「上」に引き上げたことは事実」
だが、その諸行を知って生かしておけるわけもなかった。
そして、まだ残党がいる。
と言っても、南斗宗家の全てを滅ぼす気は、シンにはない。南斗三面拳のように、多くは洗脳というか教育というか、それらによって組織を盲信しているに過ぎない。
シンがケンシロウとの戦いに、せめて生き残ることができたなら、新しい南斗聖拳組織の再編に組み込むことも考えていた。
「目の下に痣を作った祭司級の奴らは、残しておけない。そいつらの始末に行く」
「いえ、シン様」
「どうした?」
護摩焚きの炎が二人を照らす中、蝙蝠は神妙な面持ちで伝える。
「謎の拳士が、それもかなりの達人ですが、その御仁が、私たちの進軍を止めてまして」
「進軍? シュメのか?」
「いいえ、シュメもいますが、他に天帝様の軍、、つまりは帝軍ですね、彼らが力添えしてくれているのです」
「天帝の?」
意外であった。
どうやって天帝の兵に助力を取り付けたのか。南斗宗家の存在は天帝にさえ知られてはいない筈である。
仮に知れていたとして、元斗の拳士たちは(恐らく)全てこの世を去った現状。下手に動けば天帝軍自体がバラバラに分解されよう。
もちろん、既に現在まとまった大組織は他にない。ならば南斗宗家を危険な反帝組織と見て、軍を動かす判断も、あるにはある。
敢えてそうすることで、天帝への求心力を増すという狙いがあるのかも知れない。
元斗の拳士は滅びても、元斗の組織は残っているだろうし、他にも優秀な将軍や戦士の類は残ってもいるだろう。
「なるほど、例の「ナンフー」か」
「はい」
「シン様」
と、次に声をかけたのは蝙蝠ではなかった。
車椅子。老齢だが巨体。眼光にはいまだに鋭さが残っている。
しかし、その表情はかつて知るこの男よりも随分と柔らかくなっている。いや、弱くなっていた。
「リハク、お前だったか」
「バルバを倒すとは、、、流石ですな」
「脚を、、、」
その問いには一度軽く頷くだけで、リハクは話し続けるべく、息を吸った。
「あの、シン様」
しかし今度は蝙蝠である。蝙蝠はリハクを嫌っている。
南斗の将軍の一人、慈母星ユリアに仕えた五車星の棟梁という高い立場のせいか、蝙蝠のような闇働きを生業とする輩を見下している面は、確かにあった。
故に、話の筋を断たれたのが気に入らないのもあるが、今緊急を要するのは、あのシュラインという謎の拳士への対処なのだ。
「その謎の拳士の流派は、、西斗月拳というものです。ご存知ですか?」
「西斗月拳か」
バルバにその名を聞いている。北斗宗家の拳に経絡秘孔点穴の神技を伝授し、そして滅ぼされた拳。
「いまは、あのガルダ様が相手していますが、、力は互角。どうなるかは分かりません。あ、ガルダ様、生きてましたから」
「ガルダが」
ケンシロウとの戦いで命を落としたと聞いていた。
「そうか、、なら」
「はい」
「大丈夫だ。ガルダならどうにかしてくれる」
「しかし、、」
「西斗月拳、侮れはしまい。だが、そいつは今までどこで何をやっていた?」
「え、は、まあ、、さあ、、」
「南斗聖拳は同じ南斗の他流や、何より北斗神拳とずっと争い続けて来た。そんな古い流派には、ガルダは負けない」
争いという言葉は正確ではない。争いはあったが、時に味方にもなっている。しかし、研磨や競う、などの綺麗事を吐きたくなかった。
シンの確信に満ちた強い言葉を耳にし、蝙蝠の目に光が灯る。
「ですね」
「行くぞ、蝙蝠。後始末だ」
二人は、たった一人、リハクを残して去って行った。もうその存在すら忘れているかのようである。
リハクにも、宗家の本拠地である聚聖殿という名のこの呪腥殿に、シュメや帝軍を手引きする一連の仕事を統括する、という大役があったのだが。
「あ、、、、」
老人の枯れた声は誰にも聞かれなかった。そんな自分自身があまりに不遇に思えた。
しかし、シンの前に姿を現したのは、決してお褒めの言葉を望んだからではない。
ユリアを自身の真の将として仕えつつ、滅びた筈の南斗宗家の人間であることを隠し続け、そしてシンに真の南斗聖拳の伝承者の資格があるかを疑った。
バルバや宗家の他の祭司たちの様には、悪魔的な儀式に参加することもなく、「王の美食」にも与らなかった。
だが、それでも罪は深い。
リハクが姿を見せたのは、シンに自身が断罪されることを願ったためだ。
南斗聖拳真の伝承者によって斬られたのなら、あの世で他の五車星やその兵たちに格好はつく、とさえ考えていた。
それが、また、、彼は生き残った。
南斗に属する人間でありながら、平和な時代の裏の闘争を戦い抜き、そして新しい世界即ちこの乱世をいまだに生き残っている。
しかし、生き残るということは生物としての強さである。「拳」や「闘」という領域だけの話ではない。
彼はまさに強かな賢人であった。
それにしても、、だった。
万の兵を率いた将として、それよりも五車星の頭目としての輝かしい過去が彼にはある。
それが、元から格上のシンであれば仕方なしとしても、かつて蔑んだ蝙蝠にまで軽んじられる始末。
死に場所を失った寂寥感に晒されるも、生き残ることが強さであると、そう彼は自らに言い聞かせる。
キョロキョロと辺りを見渡した。
この緊急を要する事態であっても、バルバの付き人程度はいると思っていたが、それもない。
リハクはもう一度だけ辺りに注意を払い、誰もいないのを確かめると、肉塊と化したバルバに唾を吐きかけ、車椅子のハンドリムを前方向に回した。