妄想北斗の拳

妄天の拳です。北斗の拳のイフストーリーを南斗聖拳シンを中心に妄想してます。

157.蝙蝠

「蝙蝠」

シンは立ち上がりながら言った。

幾多もの死闘に酷使して来た躰だが、幸いにして痛む箇所はない。ケンシロウとの戦いを前にしての無駄な不安要素はないということだ。

 


「はい?」と蝙蝠のマイペースは変わらない。

そんな手練れの元シュメに神妙な顔でシンは言う。

「頼みがある」

「、、、」

いつものように飄々としている蝙蝠も、シンのただならぬ気配を感じ取っている。

「蝙蝠、俺とケ」「お断りします」

言いかけたシンを遮り、無礼を知りながら蝙蝠は言った。

何を言うかは予想できていた。いずれこの時があるのではと、不遜だと思いながらも予想していた。

「蝙蝠、、」

「まことに光栄です。光栄の極みです。しかし、それは私の分を超えています。ここまでシン様と、それなりに深く関われましたが、流石にできません」

シンも、或いはこのような形で断られることも考えてはいた。それが当たったということなのだが、、、

「どうしてもか?」と食い下がる。

「、、、はい、、私は元々シュメの身分でありながら、南斗様の一流派を預かりました」

ここで蝙蝠が口にした「預かる」はまさに文字通りで、一時預かりしているに過ぎないという思いが含まれている。

南斗蝙翔拳の正当な伝承者ではなく、ただのつなぎだと蝙蝠は言っているのだ。本来の伝承者ヘンショウキの次代は自分ではない。

 


「ですが、、、私は相応しくありません」

「蝙蝠、、、俺は思う。北斗と南斗の決着は多勢が見守る中でサウザーが敗れた時に、着いているのだと」

「、、、」

「確かに俺は、再び南斗聖拳の隆盛のために、南斗聖拳の名をこの身に背負って挑む。だが、気持ちの半分は我欲に過ぎない。

それにだ、この戦いは誰も見ないところで始まり、そして終わるだろう。だが、立会人は、そのくらいはいてもいい。いるべきだ」

「でしょうね。ならばガルダ様が相応しいかと」

蝙蝠とて無関心な筈はない。それどころか関心は大ありだ。当然に大ありだ。

「俺が勝とうが、それとも敗れ去ろうが、南斗北斗最後の戦いは、俺たちのような部類の人間の間では語り継がれることになるだろう」

「、、、」

らしくもなく、蝙蝠は思い詰めたような表情で俯いている。

「まして、勝利したとなれば、これは伝説となり南斗聖拳の終焉まで語られる」

「シン様、、」

「そしてその伝説が語られる時、、」

シンは蝙蝠を強い目で見つめた。睨んでいるのではない。多くの思いを込めていた。最も強い思いは、、、、感謝だった。

特等席で観てもらいたい。その権利は蝙蝠にはある筈だ。

仮に敗れるにしても、お前が死地から救った男の極みと南斗の拳を、その目に焼き付ける義務もあろう、と訴えかけている。

それよりも何よりも、これはシンの願いだった。

 


「その時は、蝙蝠という男も併せて語られるのだ」

「!」

ありがたい。有り難かった。

初めて人を殺めたのはほんの少年の頃だった。生まれてこの方、常にそんな裏側の人間。いや、人の型をした別の何か。魔性だとさえ思っている。

だが、一個の忍としての矜持はある。自分たちの主、南斗聖拳の技には遠く及ばずとも、己の武芸を磨いて来たことは誇りでもある。

忍として自分に決めた分。言い換えれば枠組み。しかし、思い描く「忍」としての強い自負。

忍は忍ぶ者。影から影を生き、そして人知れず消えゆくもの。自分が忍として全うしたい「理想」の中に、シンの願いに応える自分はない。

 


「お断り、致します」

 


断腸の思いというものだろうか、と蝙蝠は自問する。いや、きっと違う。辛いが、はじめから決めていたことだ。

いずれこの頼みがあるのでは?と、自分でもやや傲慢かと嗤いながらも決めていたことだ。

つまり、、このシンの光栄に過ぎる一言を以って、蝙蝠は己の任を成し遂げたのだ。

シンをサザンクロスで救ったのはユリアの依頼だったが、その後のシンのサポートは蝙蝠自身が望んだこと。

 


自身に課した、忍としての「仕事」だった。

 


自分はどこまで行っても一個の忍。武芸を追求した誇り高い武人であり、同時に黒炭よりも黒く汚れた人外の何か。

 


「シン様、、、」

 


南斗聖拳からの依頼を断るということ、、、

シンに殺されても文句は言えない。そんなことを今更シンがしないことはわかっているが、、、

 


そう、、、つまりこれは、、、

 


「ついにお別れの時ですね」

「!、、蝙蝠、、、」

断られることはあると、そうは思っていた。だが、今も今のこの機に蝙蝠が去るとは思っていなかった。

なのに、この男蝙蝠が申し訳なさそうに、しかし断固とした決意でシンの申し出を拒むその様子を見ると、不思議なことに全て合点がいく。

どういうわけか、シンには全てが理解できた気がした。

 


「わかった」

作ったわけではないが、そう言うシンの顔は凛々しくも優しかった。

「だが、一つ訊きたい」

「何なりと。答えられる範疇なら」と蝙蝠は寂しそうな笑みを浮かべた。その笑みが、これが本当に別れなのだと悟らせる。

「蝙蝠、、これまでお前は俺を助け、南斗宗家との戦いにまで加わった」

シンがバルバを倒した後、偉大な指導者を失った宗家は総崩れした。

それでも自分だけでも生き残ろうとする醜悪な高僧たち、、と言おうか、悪鬼と言おうか、そんなおぞましい連中の足掻きはなかなかに粘り強かった。

元将星付きのシュメたちが中心となって天帝軍を率い敵の残党軍とやり合ったが、シュメの頭領に掛け合い、ナンフーを動かしたのも蝙蝠だ。

蝙蝠の陰働き、、影働きなくして今はない。シンがいかに強かろうと、独力で賄える範囲は限られる。蝙蝠ほどの功労者は他にいない。

 


「そんなお前が自分の持つ忍という信念が故に、影から影へと裏で働くのは理解した。そしてまた影のまま消え去るのもな」

「照れますねぇ」

少しも照れ臭くないが、照れ臭そうに蝙蝠は言う。決して自惚れではない。自信と自負だ。

「何故ここまで尽力した?」

尽力してくれた?、そう問いたかったが、まるで蝙蝠のなす事全てがシン自身のためだったと言っているようで、直前で言葉を変えた。

視線が鋭くならないようにシンは訊いた。だが虎が向ける視線に威がないわけはない。まして南斗聖拳が向ける視線だ。

「言いましたでしょ、前ぇに」

流石の蝙蝠は、シンの抑えながらも鋭く強い視線をやんわりと受け流す。

「あれ?言ってなかったでしょうか?私がシン様の大ファンだからですよ」

「ついでだ、もう一つ」

蝙蝠のはぐらかしに一つ一つ付き合ってはいられない。「揺れ動く」のが自分でもわかっていた。

努めて自制しシンは続けた。

「何故お前は南斗蝙翔拳の、「担い手」とは言っても伝承者を名乗らない?」

「!」

全て見透かされているような深い意味合いを持つ問いに思えた。蝙蝠は改めてこの真の南斗聖拳を、失礼にならぬよう注意を払いながら刮目した。

 


南斗聖拳のため、俺のため、それだけではあるまい」

問うてはいるが、断定に近い。

「それは、、、」

蝙蝠の目が珍しく目の前の物体を捕らえず、思いが過去を辿った。何気なくもしっかりと見ていた辺りを見失うほどに。

だが、蝙蝠はいつもの彼らしく笑い、

「言えません」と返した。

「そうか、わかった。だがさっき言ったこと、俺の、いいや、南斗聖拳の伝説が語られる時、そこに蝙蝠という男が出ることは覚悟してもらう」

「フフフ、冗談じゃありませんよ」

クルッと蝙蝠はシンに背を向ける。遅れて躰の動きに追い付く黒いマントが柔らかく美しい。

「世人に語られるようじゃ忍も台無しです。良くも悪くも名を残さないのが、少なくともこの私の思う、できる忍です」

「フッ、そうなのか」

「蝙蝠という男はシン様が死の淵から立ち上がり、さらに成長するためにご自身で作り上げた幻です。これで行きましょう」

「それは無理がある」

別れが辛い。小さなトゲが胸の内側を刺す。

「晴、、ですねぇ。実に晴々としている」

空を見上げる蝙蝠に涙が残っているのなら、もしかしたら少しばかりの涙を浮かべたかも知れない、この別れに。

「シン様、これが今生の別れとなりましょう。来世があってもシン様の前には現れませんがね」

もしこの先、蝙蝠の生涯に涙を流す時があるなら一度だけ。それは歓びの涙と、そう決めている。決まっている。

「そうは行かない。必ず見つけ出す」

生まれ変わりなど信じてはいない。どっちでもいい。どうでもいい。ただ、シンは蝙蝠との掛け合いに付き合った。

「あの時のサザンクロス、、シン様とケンシロウ様の死闘中なのに、実に晴々としていました。今日みたいに呑気にねぇ」

自分らしく飄々としていたい。去り際もいつもの蝙蝠でありたい。だが、放つ言葉がいつもと異なってはいないか。湿っぽくなっていないか。

「シン様!」

蝙蝠は少しだけ振り返った。

「あの山の向こう、少し雲がかかってます。雨に降られるかも知れませんよ? でも、とても綺麗です!」

言ったことは事実だろう。シンは蝙蝠の心を汲み、敢えて振り返り遠くその山を見た。

意識的に山を見るというその行為が、シンには久しぶりのようで、その美しさを思い出させる。こんな世界・時代でも綺麗なものは綺麗だ。これほどまでに。

そしてほんの数瞬の後、目を戻したが、、、

 


「フッ」

 


蝙蝠の気配から気を逸らした。だからであろう、美しい景色に心を奪われた。だが、それは一瞬だった。

一瞬だったが、、、

 


「流石だ」

 


蝙蝠の姿は跡形もなく消え去っていた。