妄想北斗の拳

妄天の拳です。北斗の拳のイフストーリーを南斗聖拳シンを中心に妄想してます。

181.

暖かい、、、暖かい、、、、

 


温かい光に包まれていた。

ゆっくりと目を開く。その先にはこの世のどの光よりも優しい輝きがあった。

不思議と身体中の痛みが引いて行く。

「ユ、ユリア、、か」

シンはその心地良さに抗うこともできずに目を瞑った。

眠りに落ちるというよりも、羽のようにやんわりと、まどろみの中に降りて行った。すぐに深い眠りへと誘(イザナ)われて、、、

 


目覚めた時、そこに赤い髪の男が立っていた。

「ジュ、ガイ」

部屋ではない。草叢の上に寝せられていた。身体中に手当てが施されている。

「ジュガイ、、お前が?」

「いや」

ジュガイはシンに目を落とすことなく低い声で言った。山の中腹から見下ろす先は南斗の隠れ里。

「じゃあ、、ユリア、か? あれは夢ではなかったのか」

自然とシンの顔も優しく緩んでいた。シンの問いに対し、ジュガイは肯定も否定もせず、思いがけないことを言った。

「あの女はやめておけ」

「何!?」

ユリアを「あの女」呼ばわりされた。名もないような雑魚なら、突き殺していたかも知れない。しかしそこは同門孤鷲拳の男。この有様では返り討ちだ。

「ユリア、、ああいう女が一番危険なんだ。ああいう聖女こそが、周囲を巻き込む最も禍いとなる悪女なんだ。

残虐だの性酷薄と恐れられ、眉をひそめられるお前にだって、傷付き倒れていれば救いの手を伸ばさずにはいられない」

「、、、」

「自分が天性の悪女だなんて、、周りの男どもを惑わす最悪の女なんて、、ほんの僅かにも思ってはいない。

いつだってああいう女こそが危ないんだ。あいつを中心に禍いの渦が生じ、男たちは翻弄された挙句に破滅へと引き摺り込まれて行くんだよ」

それがどうした? 俺ならユリアを幸福にすることができる! 周囲の男どもだと?蹴散らすまでだ!

しかしそれを言葉にするにはあまりに惨めな姿であった。

「俺は」

ジュガイが続ける。

南斗孤鷲拳の伝承者だが、南斗六星は辞退する。と言うよりも、それが「上」の意向のようだ。俺よりもシン、お前だとよ。噂だが、本当のことだろう」

杞憂だった。

ともに南斗孤鷲拳を身につけ、その実力は拮抗。シンより年長という理由で先に正式な伝承者となっているが、二人の伝承者をシンには許す気はない。

南斗孤鷲拳、、、単にその伝承者となるだけでなく、南斗聖拳の最高峰六星の一人に数えられる栄誉なのだ。

栄誉どころではない。裏側の世界に遍くその影響力を持つ南斗聖拳のトップともなれば、その権力も権威も計り知れない。

それだけに、久しく顔を合わせていないジュガイがこの機に現れたことが、シンに要らぬ憶測をさせた。

もっとも、シンはジュガイが自分を差し置いて六星になれるなどとは思いもしていない。いずれその座をかけて戦うべき相手と、そう思っていた。

「南斗とは縁は切れぬが、俺はここを出る。そして、、、いや、いい」

シンが怪訝な顔で見上げたジュガイの顔は、、優しさを帯びていた。だが、そんなものを見てもシンの心には何の感銘もない。何も響かなかった。

その微笑の意味を読もうともせず、単に六星の座をシンから奪うことができない弱者、という程度にしか思えなかった。逃げる言い訳を思いついたのだろう、と。

そんなシンの思いを他所に、兄弟子は言う。

「帰れるだろ?」

一人で戻れるだろ?との問いだった。かつての良き兄弟子の頃のジュガイがそこにいた。しかし、シンがジュガイの肩を必要とするわけはない。

それだけ言うと、ジュガイは去って行った。その後ろ姿がジュガイを見た最後となった。

 


「そうだったな」

 


ケンシロウは深く険しい目でこっちを見ている。スキを探している。どうやって秘孔を突いてやろうかと考えている。

 


「ジュガイもキサマに、、」

「、、、」

「何を押し黙ってやがるんだ、、、ケンシロウ、、、ケンシロウ!!」

 


シンはリュウケンに見せつけられた北斗神拳の力を恐れている。そしてラオウ、トキという優れた拳士を差し置いて伝承者となったのがケンシロウ

とは言え、ケンシロウの拳技があのリュウケンに並ぶとは到底思えない。ましてやシンには狂気に身を委ねた勢いがあった。

それでもユリア強奪の際、シンはケンシロウを襲うにあたり「空」へと誘った。空は南斗聖拳絶対領域。空では七星点心を使えないとの判断だ。

 


今、ケンシロウがあの奥義を使っているとは思えない。闇夜で使い、肉眼を鈍らせた状態でこそあの奥義は奥義たる真価を発揮するはず。

まさに暗殺拳の極みなる秘技。

それでもケンシロウの動きは読みにくい。だが、あの時ほどに混乱させられるわけではない。

 


死角? 人間の動作にそんなものが、しかも七つもあることを知る者が南斗にいたか?

だがな、ケンシロウ! 俺は知っている。知ったのだ!

キサマの師リュウケンの甘さが俺にそれを教えたのだ! 師の咎を贖うのは弟子にして次の伝承者であるキサマだ!

 


リュウケン、、、その神技に畏怖した過去の自分への怒り。惨めにも声をあげ、這いつくばった恥辱。

南斗孤鷲拳伝承者の認可を得る直前の思い上がった自分を徹底的に「わからせた」リュウケンへの恨み。

もちろん、リュウケンは個人の怒りよりも南斗聖拳との深い関わりと、そしてシンの将来性を慮って、その罪を赦している。

荒くれた残忍な若者だが、言ってしまえば元からこのような世界の住人。「力」を得たばかりの頃にはよくある過ちなのだ。

一言で間違いと言うにはあまりに重い件ではあるものの、弟子のジャギと比較すれば性根は腐っていない、と。

 

そんなことを、当時のシンが知るはずもない。「罰せられた」ことは理解しているが、今以て惨めな様を晒したことは忘れていない。

そこに更に上乗せされるのは、今やかつての良き兄弟子としての記憶が勝るジュガイが殺されたその怨み。

ケンシロウとジュガイの間に何があったかは知らない。予想するにそれは拳士として戦いの結果であろう。

もちろん後には、ジュガイが妻子を喪い闇に堕ちたことも聞いている。

であれば、ケンシロウが自ら望んでジュガイを手にかけたのではないだろう。北斗神拳の宿命が導いた結果というところか。

 

「だが!」

思わずシンは声を荒げた。

 

であろうが! ジュガイが、南斗聖拳が、、その誇りを奪われたのだ。犯されたのだ!穢されたのだ!

まだある。ジュガイとの一戦で南斗孤鷲拳を見切ることで、シン自身との再戦には、はじめから有利な立場にいた。

 


ジュガイのことなど一言も触れずに、、、

この男は、、、、!

 


あの気に入らないサウザーの顔までもが浮かぶ。どこまでも傲慢で、しかし南斗聖拳最強と称されるに相応しい力を持っていた。

ザワ、、、南斗は敗れた。数にては圧倒する南斗聖拳の量が、北斗神拳の質に敗れた。ザワ、、ザワ、、、

 


人間の死角は消せぬか? それが人間の限界であろうか? 北斗神拳はそれを知り、そこを突く。

簡単だ、、、キサマは死角にいる! 死角から来る!

この真昼間では暗殺拳の奥義七星ナントヤラも効果は薄かろう。有り難くも教え示された弱点を俺が放置しておくとでも?

南斗聖拳がそれを放っておくとでも!?

 


「うんぬぉ!」

ブオ〜!

「これは!?まさか!!」

ブン!!

「!!!」

シンは右側から近付き間合いを割る寸前のケンシロウを見ずに、左中段の回し蹴りを放った。

この拳技の至高者のみが立てる舞台にあって、単発での足技はリスクが高い。しかし、不意を突かれたケンシロウの反応は遅れた。

ケンシロウのスキを誘ったもの、、、それは黒い闘気。いや、違う。黒の合間に銀色の光があった。魔闘気を制した南斗聖拳シンの闘気だった。

 


両腕でシンの蹴りを受けるケンシロウだが、南斗聖拳の速さと力と、これに上乗せされた魔闘気による一撃がケンシロウを撃った。

「ぐっ!」 ドン!!

ケンシロウが背後の壁に激突し、その衝撃で崩れた壁が遥か下方に落ちて行く。

 


「浅かったか、、ケンシロウ?」

 


意味は真逆だ。間合いは深かった。シンの蹴り足は足首と脛の間でケンシロウを撃った。通常の蹴り技とは違う。言ってみれば刀の柄を、ケンシロウは受けている。

ほんの少し間合いが遠ければ、それは「深い」間合いとなっていた。

 


ケンシロウ、、南斗聖拳がそのままでいると思うか?」

噴き出ている魔闘気が放出をやめる。

「怒りと憎しみに狂わされ、自制もできない拳だと思うか?」

 

北斗琉拳を見てはいない。だが魔闘気はバルバに味わわされている。あれがきっと汚物の味だ。そんな汚物と「聖」が連れ合うか?

聖とは言え血塗れてはいる。だが、この舞台まで来たんだ。愚かしく穢れていては、ここに立てまいよ。

 


「キサマが知ってる南斗聖拳は過去のもの。今日の南斗は昨日よりキレている!ケンシロウ!」

 

 

 

180.

北斗神拳奥義 七星点心」

静かだが重厚な声が風雨の中でもしっかりと聞き取れた。

七星テンシン、、、奥義。北斗神拳が奥義を見せるということは相手を確実に葬るということの意思表示。南斗聖拳にしても同様だからだ。

焦りはある、、、まだ実戦におけるリュウケンの力を見てはいないというのに、追い詰められたような感覚が襲い掛かる。

それを打ち消すようにシンは出る!

北斗神拳伝承者と言えど、老いた男の拳がこの俺に通ずるわけはない!

 


「!!」

驚愕だった。異様さ、奇妙さが極まっていた。撃って出ようにも、、、その的が絞れない。リュウケンの位置が掴めない!

朧げなその姿を目が捉えたと思うと、またすぐに移動し、、、の繰り返しであった。

「(幻術!?)」

リュウケンに何かしらの、それこそ催眠術のような何かを仕掛けられたのか?

「う、うおお!!」

シンは闇雲に南斗の突きを連射した。しかし、突き斬るのは闇のみ。闇を切り裂いても光は射さない。

「(氣だ。氣眼で捉えろ!)」

決して得意ではない氣による察知に移行した。肉眼では追えないようだが、氣なら「視える」はず、と。

しかしその直後!

「あ!が!!」

背後から強烈な一撃が浴びせられた。骨が軋み、接合部がずれると思うほどの衝撃であった。それでいて前に吹き飛ぶような無駄に余る力は込められていない。

シンがよろよろと前に歩を進めたその先で、一瞬リュウケンの姿が浮かぶと、またもや二度と経験したくはないような衝撃が襲う。

幾度かそれが繰り返され、なす術なくシンの両膝は床に落ちた。その間もリュウケンの気配はあちらにこちらにと掴みようがない。

「人間には」

リュウケンの声が、まるでシンを囲むように低く重く響く。ダメージを限界まで溜め込んだ若い身体に響く。

「その動作において七つの死角がある。それ即ち北斗七星の様」

まるでなす術がなかった。リュウケンの神域に至るという拳技に、南斗の荒鷲は翼をもがれ、嘴も爪をも封じられた。

リュウケンの気配は、この広間全体にむしろ満ちているようで、攻めようがない。それ以前に既に受けた傷で身体が動かない。

秘孔点穴ではない拳による衝撃。外部からの破壊ではない北斗の拳が、これほどまでにシンは追い込んでいた。

「来る、、、か」

いよいよトドメに来る頃合いだ。一か八かで、、、

しかし!

フワ〜!!

「!!」

四方、八方、、いや平面全方向からリュウケンが突きを撃ち放つ!

「ぐおお!!」

 


倒れていた。遥か遠くから響く雷で気が付いた。どのくらい意識を失っていたのか、、、

命は取られなかった。生殺与奪の権は完全にリュウケンの手にあった。自分は容赦された。南斗聖拳組織との深い関係性で助けられたのだ。

屈辱だった。それよりも恐ろしかった。

最後の一撃を受け、倒れ行く際にリュウケンの声を聴いた。それが思い出された。

「若き南斗の拳士よ」

次いで師父の名を口にした。「、、、に免じてその命を奪わない。だが、そなたが虫のように踏みにじり殺めた者たちの命を思え」

 


外はもう明るい。雨も雷も山の向こうへと去っていた。

あれだけの攻めを受けながら、骨には何の異常もない。そこまで気遣いされたことが屈辱で、そしてやはりその実力差が恐ろしい。

来た道を戻るシンだが、自身が殺害した護衛たちの遺体はどこにもない。それがあったという形跡も消え失せている。雨とともに流されたかのように。

「くっ、、どこまでも」

その手際の良さが気に障る。

リュウケン、、、リュウケン、、、リュウケン!」

怒りと屈辱が込み上げる。なのに、「いずれ殺す!」という言葉が出ない。恐れが植え付けられているかのようだった。

だが、、シンは笑った。狂気の笑みを浮かべていた。

「フ、フフフフ、、、北斗の奥義を見せながら俺を生かしておいたこと、、、必ず、、必ず、、」

晴れ間が見え隠れする天を見上げた。背には麗しいほどに美しい朝焼けがあった。

 


「必ず後悔させてやろう!!」

 


一人言い放った後、フラッ、、、とシンは再び意識を失いその場に倒れた。

 

179.

またひとつ、命の灯が消えた。

そこに叫びや苦痛の思念はない。オウガの手練れに気取られることなく命を奪っている。

しかも、場合によっては雷光や雷鳴に合わせてことを為している。暗殺拳としての技量はかなりのものであることが推察できた。

それでいて、気配を全くは隠そうとしていないような感じも受ける。

気配を隠していることを、敢えて悟らせるかのような、まるでゲームを楽しむかのような印象さえ感じられた。

 


リュウケンは怒りと悲しみを抑えつつ、重く静かに目を開いた。

ザァ〜、、開けておいた雨戸からは雨が吹き込んでいる。

カッ! 雷光が屋敷の外を照らした一瞬、そこに長髪の男の影があった。

雨脚はいよいよ強い。数秒後に次の雷光が煌めいたとき、そこに侵入者の影はなかった。

 


「我が師は言う」

座したリュウケンの背後から、傲慢の含みがある声があった。

北斗神拳伝承者リュウケン殿の拳、神域に至る、と」

リュウケンは息を静かに吸い込み、この後確実に訪れる戦いに備えた。あくまで静かにだった。

「なるほど確かに、、あの岩砕きには驚かされた。南斗にあって、あの氣は初。しかし、あれだけではなかろう」

「、、、、」

「その神域とやら、是非にご教示いただきたい」

怒りが込み上がる、、、しかし、怒りに身を任せるリュウケンではない。

フウ〜と、まるで浮き上がるかのようにリュウケンは立ち上がった。その動きにブレがない。まるでない。

立ち上がる所作だけで、これがただならぬものである!ということを、シンは気付かされた。

その異様さに押されそうになるが、彼の負けん気が勝る。

「言葉は無用! 拳にてお教えいただこう!」

いきなりにシンが沸き立つ!!

 

そのあまりに無思慮で身勝手な、若いということでは済まされない兇行の数々。しかし、、、、恐らく南斗六聖拳の一人になるであろう拳士。

「ぜりゃ!」

そんなリュウケンの思慮など気にも留めず、シンは南斗の「聖なる凶刃」にて襲い掛かる。

ススッ、、難なく、そして静かにリュウケンは横に逃れ、一方のシンは勢いの余り、、と言うよりも、まるで腹いせかのように壁を撃ち貫いた。

その破壊音は小さかった。無駄な力が少ないからである。リュウケンはまだ若いこの拳士の資質の高さに刮目した。

だからというわけではない。迷いはある。

これは教えを求める稽古ではない。シンはリュウケンを「取る」気なのだ。それが何をもたらすかさえ、まるで考えていない。

しかし、リュウケンは決断した。

 


「愚かなり。せめて奥義にて葬ろう」

奥義、、これほどの男が言う「奥義」。シンは戦慄した。

だが、、、

「是非に」

凶を極めた笑みが浮かぶ。

178.

その夜、リュウケンは一人暗い広間の中央に座していた。

寺院を思わせる外観のその屋敷は、造りこそ古風だが、設備は現代的で快適に過ごすことができる。

だが、リュウケンはそのような快適さを必要とはしていない。そもそも北斗神拳の調気法を以ってすれば、熱い寒いの類など苦にもならない。

灯も点けず、だだっ広い闇夜の真ん中にあって、リュウケンは瞑想をしている、、わけではなかった。思案に耽っている。

次なる伝承者は、実のところ既に、いや言いようによってははじめからケンシロウと決まっている。血筋と適正から言ってこれが一番の選択なのだ。

ラオウは、ない。技量は申し分ないどころかそれ以上。あの絶望的な崖の下から自分のみならず弟トキを背負って登って来たあの少年は、

過去千八百年と伝えられる北斗神拳の歴史あっても、恐らく並ぶ者がいないであろう剛の男となっている。

しかし、ラオウの拳は北斗神拳ではない。もし仮に北斗神拳が一子相伝でないとしたら、あれはあれで一つの派となり、本家北斗神拳を脅かすほどのものとなろう。

結果、世界は混迷に陥る。そうでなくとも、昨今の世の情勢には不穏な悪しき流れがあり、「最悪の場合」が現実化する恐れが、、高い。

トキは、、、、

トキに対するリュウケンの思いは正直なところ残っている。

その技にあっては、リュウケンから見ても欠けたるところがない。人格も伝承者になるに相応しく、情深いながらも、それは決して甘さではない。

だがトキは病に蝕まれている。(トキはシェルター事件以前から病気であった説による)

非情な話だが、トキでは次代へ北斗神拳を伝える時間がないかも知れないのだ。

では、ケンシロウは?

拳の才はラオウにもトキにも劣らず、暗殺拳としての適正ではトキ以上のものがある。

だがそれでいて、、甘い。その甘さを断ち切るべく、ジャギには辛い役目を頼まねばならない。北斗神拳の道に甘さなど許されぬ。

、、、というように、リュウケンでさえ何度も同じことを考え繰り返すほどに、次代の伝承者を選ぶことは困難且つ重圧でもあった。

いや、次代伝承者はケンシロウなのだ。ただ、それに伴う様々な良くはない要素が気にかかる。

 


雨が降り始めていた。

春雷。闇を走る閃光と轟音。雨脚は強まるばかり。

強い雨に濡れることを気にするどころか、これから浴びるであろう返り血を洗うにちょうど良い、と考える若い男が屋敷へ続く階段を上り始めていた。

岩陰に先ずは一人の護衛を見つけた。シンは気取られることもなく、背後から鋭い刃物で心臓を貫いた。それ即ち南斗の拳である。

オウガの護衛は自身に何が起きたかも知る前に絶命し、バチャっと音を立て、膝を着いた後、うつ伏せに倒れた。

その音も、強い雨音と雷鳴に掻き消されて、シンの襲来が他の護衛に悟られることはない。

何の痛痒も感じていない。蚊を潰すことと何ら違いはない。ただの民間人ならまだしも、オウガは同じ世界の人間だった。それだけのことだった。

護衛はちゃんとここにいるぞ、と敢えて知らせているような灯りを辿ってシンは山を上る。

雨除けのついた壁或いは木に括り付けられた電灯若しくは古風にも松明の明かりは、飢えた狂人と化したシンを呼び寄せる誘蛾灯。

また一人、シンの凶刃にかかって護衛が命を落とした。

 


もうすぐだ。すくだぞリュウケン

 


だが、リュウケンの力は若きシンの想像を遥かに超え、いや、それをも更に超えた高きところにあった。

177.

その日、師父は慌しかった。北斗神拳伝承者リュウケンを招いていたからだった。

リュウケンに対しては、技においても人格においても、ほとんど敬うほどの思いを、師父は抱いていた。

いわゆる親北斗派であって、その中でも最も先端にいるような男である。

本来ならもう一人の弟子であるジュガイもこの場にあるべきだ。だが、ジュガイは見聞を広める、と里を出て行って以来、数ヶ月も音沙汰がない。

それも加わった故に師父は必要以上の慌しさでリュウケンへのもてなしに精を出していた。

 


若きシンは日中(ヒナカ)に見た、北斗神拳伝承者リュウケンの岩砕きを思い起こしていた、繰り返し何度も。

思い起こすというより、勝手に脳内でリフレインしている。煩わしかった。

、、、、、

目の前の岩、正確にはコンクリートブロックを、シンは斬撃や貫手ではなく、敢えて掌にて爆ぜさせ派手に粉砕した。

ケンシロウも見事に岩を破壊したが、その前に上っ面をコンコンと叩き「秘孔」見つけ、それを拳で打った。

リュウケンは違っていた。

南斗聖拳の純粋な破壊力とは違う、それでいて強烈な氣。加えてその氣が発動する前の静けさも思い起こされる。異質すぎた。

シンの破壊した岩は前方に弾け跳んだが、リュウケンのそれは一瞬内側に圧縮するようにして、そして真下に崩れ落ちた。

南斗聖拳北斗神拳の氣、性質の違いと言ってしまえばそれだけの話。それでも腑に落ちない。漠然とした疑問が視界から消えない。

破壊専門ではない、経絡秘孔頼りのはずの北斗神拳が見せた完全なる破壊現象。若いシンの眉間に寄った皺が解ける気配はなかった。

一方で彼の師父としては、そんな様子を見て北斗神拳伝承者を招いたことが望んだ結果を生み出したと、胸を撫で下ろしていた。

まだ年若きシンだが、その武威は既に拳の師である自分をとっくに超えている。

教え授けるべきは「力」だけではないが、力こそが全ての世界にあっては、師父の言葉に宿る説得の力も乏しい。

シンの兄弟子ジュガイでさえ、武に携わった年数に差はあれど、その実力は既に拮抗。

一子相伝ではない南斗孤鷲拳の継承者としてではなく南斗六星の座をかけた競合者、いや、敵と言ってもいいように思えていた。

故に今、ジュガイはシンとの接触を避けている。或いは二人の次の出会いが、もしや、、とまで考えていたのである。

老いた自分を超えたところで、、兄弟子ジュガイを超えたところで、、まだ上には上がいる。

南斗六聖拳の一つに数えられる南斗孤鷲拳は流派の力としては相当なものだが、最強ではない。

シンの若さを別にしても、あのサウザーにはまだ遠く及ばない。サウザーの力を考えれば、その後もシンが南斗聖拳最強になる道は険しかろう。

拳の師父として、彼は自分よりも遥か豊かに才能に恵まれた弟子シンを案じた。

何より、他にもまだいる「上」の存在、、、そう、強大無比な北斗神拳がいる。

彼とリュウケンの関係は良好であり、物理的な距離の近さからも親交は深い。

ジュガイが北斗の弟子たち即ちラオウやトキたちと会うことはまずないが、シンは違う。

特に末弟ケンシロウとはどういうわけか、気でも合うのか、或いは南斗聖拳に対する北斗神拳として、同じ年齢のせいか意識しているようであった。

指突一つにしても、究めるまでの道のりは長い。それをリュウケン殿が、、私ではなく北斗神拳伝承者殿に示してもらった。

これで弟子シンも思いを新たに自身の拳を見つめ直し、南斗孤鷲拳の名に相応しい伝承者となろう。

そして恐らく、南斗の頂点の一人としても。そうなれば、シンほどの才に恵まれなかった彼の名も上がろう。これは野望にも似た師父の願望だった。

 


壮絶なるリュウケンの岩砕き、、師父の狙いは当たりの目を出した。だがシンのその後の、それもその夜の行動、いや兇行までもは読めなかった。

自分よりも上の者など認めない。

まだサウザーや盲目でも衰えのないシュウがいる。北斗にもラオウやトキのような厄介な奴らはいる。だがあくまで、、「まだ」だ。

若さと南斗孤鷲拳の力を持つシンの心は傲慢さに取り憑かれていた。

そう遠くないうちに次代に北斗神拳を譲るリュウケンごときに、拳の武威で驚かされたことが気に食わない。

リュウケンは今夜、この里に留まる。その屋敷も聞いている。ケンシロウは既に里から退いている。師父との軽い会合の後は、、、一人。

正確にはオウガの者たちが屋敷のみならず、その山ひとつ丸々警護にあたっている。

だからどうした?

我が南斗聖拳の前には物の数ではない。

 


シンは牙を研ぎ澄ませたまま、夜の訪れを待った。

176.

ケンシロウがスゥッと近付いていた!

「なに!!」 いつ!?

シンの心の隙間に撃ち出す横蹴りの連打!

「あたたあ!」

ガードを固めて蹴りを受ける! 流せない間合いで蹴り込まれた力がシンの腕を一瞬の痺れを与えた。

言うまでもなく、その蹴りの威力は筋力のみによるものではない。氣により、速度も力も強度が増している。

受ける方も受ける方。正しく受けても「並」の範疇にいる人間では肉を潰され骨を折られている。

しかしだ、南斗聖拳を相手したこの場面で、力はあっても速さには劣る足蹴りを選んだケンシロウが気に入らなかった。

スキを突かれた攻めだったのだ。指や拳による秘孔点穴なら、より優位に立てたのではないか?

シンの沸点は低い。これに対してシンも怒りの反撃を試みる。多少の人間改善も、本質は本質。変わらないことも多々ある。

そもそも沸点の低さは弱点か? 力を与えてくれるか? 冷静に対処されればスキが目立つ?  構わぬ!

南斗の蹴りがケンシロウの下肢を狙う! 当たればこれ幸い。南斗聖拳が当たればそれはどこでも致命の経絡秘孔のようなものだ。

しかし、ケンシロウは脚を上げ受けるでもなく、またスッと間合いを外し、シンの蹴りによる斬撃を空振りさせた。

一瞬の感情が乗った南斗聖拳の蹴り。派手さのない暗殺拳の戦いを望んだはずのシンの蹴りが、空気と5,6m先の壁面を荒く断つ。

 


どうにも、、、とシンは焦りを感じた。

ケンシロウの動きと気配が読めない、、、読みにくい。反応半分読み半分でケンシロウの動きを追うシンだが、、、、

あのサウザーやガルゴでさえ、移動に生じる気配を見失うことはなかった。速さで言えばサウザーの方が遥かに上なのにだ。

ケンシロウが遅いと言っているのではない。一番読みにくい疾さなのだ。来るのか、来ないか、退くか、進むか、が読みにくい。

流石に北斗神拳!と感心している場合ではない。先ずはこの動きを見切らねば、この勝負に勝つことは、、、、!!!!

トッ!! 被弾!!

先の拳の当たりを除けばこの一戦初の被弾はシンの脇腹だった。が、極めて浅い。触れられた程度。秘孔を突かれた感覚は、、、ない!

シンは過去実際に死点を撃たれている。サザンクロスでだ。その感覚とは違う。やられてはいない。

シンの鍛錬の結果が、ほとんど無意識にケンシロウの一撃の間合いを感じ取り、ギリギリのところで回避に成功していた。

 

確かに、撃たれた感覚ではなかった。指先と、そして不思議にも柔らかく温かみさえも感じるような氣が、、脇腹に触れた。死神のキスは甘く優しい、のか?

執念を身に付け凄味を増したあの時のケンシロウ。その後の怒りにより力を増した拳。それらとは性質が違う。

暗殺拳としての精度も格段に上がっているようだ。北斗神拳伝承者の深み。計り知れない何か。

、、待て、、とシンは不気味に感じながらも冷静に努め、逃げにならない距離で間合いを空ける。

北斗神拳だけが死神ではない。南斗聖拳も死と災厄を巻き起こす破壊の神ではないか。

必死だが、思考が渦巻いた。何かを探ろうとしている。脳が情報を掻き集め、解答を出そうとしている。

 


「そうか!」

 


この動きは!! あの!!

 

175.

ケンシロウは動かない。待ちに徹しているというわけではなかった。

 


互いに待ちに入れば、先に動くのはシン。そうに決まっていた。

ケンシロウ北斗神拳真の伝承者らしく、偏りのない真円なる拳であるのに対して、シンは攻に寄っている。

少なくとも現在のシンは迎撃や守りが苦手ではないが、性格的には元々攻めの拳だ。

 


挨拶程度の、しかしそれはこのあまりに特異なフィールドの中でのみ言える「挨拶程度」の接触を三合繰り返した。

互いに被弾なし。衣服にも擦り傷一つない。ないが、超人の動きに耐えられず、関節部には既に綻びが生じている。

 


「さて」

挨拶はこれまでとしよう。このような浅い間合いの乳繰り合いでは天帰掌の誓いに反する。シンは一段高く身体を調整した。

ある意味に於いては、「本気」にシフトした。

 


「改めて行くぞ!ケンシロウ!!」

シンが出る!

石床にしっかりグリップした足裏の感触が良い。つまりはまだ、床を打ち砕くほどの全力ではなかった。

「むぅ!!」 シンが唸る

ケンシロウが、、ケンシロウも出た!

 


巧い!

こちらの機を読み、待ちと思いきや意外にして最適解な動きに出る。

「おあたたたた!!」

拳(コブシ)の「壁」がシンを迎え撃った!

その場から退くために必要な一歩は、まだ着地しない。

カッ!!

「えやぁ!!」

ケンシロウの拳壁、その一つ一つに南斗の突きを放ち、受けとした。

南斗千手殺!しかし、全てを破壊する南斗の拳も、無数の北斗の拳の一つとて破壊できない。

もちろん元々は二本の腕である。壁を構成するほどの数全てに南斗の拳を当てたということは、同じ箇所を幾度も突いているということ。

破壊専門の南斗聖拳でも砕けない、まさに神の拳か。

ダン!! 着いた一足で退がり距離を取る。此度は全力の足捌き。流石に石床が砕け飛んだ。

 


「(危ない)」

ケンシロウの間合いを割った。奴から初めて動いて、だ。血と魂が凍り付くような底知れぬ何かに触れたような感覚だった。黒い、何か。

「死か」

そう、シンは知っている、、、、そう、、この見放された大地で誰よりも。

血と魂が凍り付くような、、と感じたシンではあるが、同時に不思議な感覚にも見舞われていた。

死を恐怖するよりも、それを覚悟する心、もっと言えば、受け入れるような心持ちになる。そこに陥る。

それはケンシロウが紛うことなき北斗神拳、究極の暗殺拳北斗神拳でシンに臨んでいるということだ。

それ自体は率直に言ってありがたい。しかし、こうも思う。

ケンシロウの強さを目の当たりにした弱き己が心が圧される故に、死を覚悟せざるを、受け入れざるを得ない心理へと追い込まれているのではないか?

ザス!!

斬り裂いた。シンはそんな雑念を心の中で大上段から振り下ろした聖なる拳で真っ二つに断ち斬った。

どんな捕食動物であろうと、シンを襲い捕まえ食らうことはできない。

なのに、この目の前の男はシンを喰らう強大な存在なのか? 故にシンは喰われる覚悟をしたのか?

ザン!!

繰り返す雑念妄念を今度は横に斬った。

 


恐れも結構。それもまた危険を回避する術となろう。恐れの囚われ人にならない限りは!

「おおお!」

シンが更なる「力」を解き放つ。

ケンシロウ!!」

シンがケンシロウに飛びかかる。

 


ケンシロウが誘うように動く。広いフロアの中央にスキを作らずケンシロウは移動した。

到着の早かったシンの「掃除」によってフロア中央には障害物はない。ダンスフロアのように何もない。

環境を活かし得る戦闘ではなく、純粋な拳の勝負に移行したのだ。

「それでいい」とシンは勝手に独りごち、声に出す。

すると、それと同時にケンシロウがストトン、スタトンとリズムのあるフットワークを開始した。

ケンシロウのモードが待ちから動に入ったということを示していた。

そして「ほぉ〜」と息を吐き調気しながら両の腕を円の軌道に沿って回す。ピタッと止まったその構えは、やはりいつもの構えだった。

合わせてシンが出る。床は砕けていない。

速すぎては、咄嗟の停止や方向転換に難が生じる。

格下相手、もしくは勝負所であればともかく、ケンシロウを相手に僅かでも制御を乱すような行動は取るべきではない。全力が正解とは限らない。

(局面を見極めよ。内なる感情ではなく、俯瞰して見よ)

かつて蔑んだ師父の声が脳内に想起された。こう攻めたい、は正解ではない。

南斗聖拳の強さと才能に恃んだ「安い」武ではこの舞台の主人に通らない。

 


どこからでも来い!と言わんばかりの万全なる構えのケンシロウ

もちろん、行こう!とシンが軽く跳躍する。軽いとは言ったが走り幅跳びのような跳躍だ。いかなる猛獣をも容易く凌駕する南斗という名の死の獣が獲物に食らいつく!

シンは更なる氣を解放する。血流が速まり、それに伴い全身を熱い氣が巡り、そして満たす。

ケンシロウはシンの跳躍によるその突進を避けない。受ける気でいるのだ。

「(ならばここが間合い!)南斗!!」

シンの手が疾さで「分裂」する! 二本の腕が四本、八本、、、、と倍々に分裂した。

「千首龍撃!!」

ブワラ〜!! 隙間のない南斗の突きが、これもまた壁になりケンシロウを狙う。

無論、秘孔点穴ではないが、当たればその部位は確実に破壊する。

その一撃が仮に致命傷とはならずとも、ケンシロウの戦闘力は大きく下げられる。事実上勝負が決するほどに。

 


ボボ!ボボボボ!!

黙して待つのがケンシロウの役目ではない。シンが奥義にて間合いを割って迫るのだ。無想というわけでもなかろうが、拳士として反射がケンシロウを最高のタイミングで動かした。

「おおおお! 北斗!!」

シャアアア!! 拳(コブシ)が壁を形成する! 鋼の拳の壁だ!

「千手壊拳!!」

 


バシュ!、、、、、

 


というたったそれだけの音だけを残し、二人は後方に弾けた。連突の疾さはほぼ互角。

時が止まったかのような速度域でぶつかり合った互いの拳は互角、いや、そう、、ほぼ互角だったのだ。

氣当たりによって弾けた余力が床や壁を傷付けるということもない。まるで無駄な力がない、高純度な拳の衝突。無数のだ。

 


ポタ、、ポタタ、、、

この一戦の初めての出血は、、ケンシロウだった。

外部からの破壊を極めに究めた南斗聖拳。その先人たちの思いがここに成し遂げる絶美なるシンの「聖拳」が、鋼より遥かに硬い北斗の拳を凌ぐ。

もちろん、これは当然の結果とも言える。北斗南斗の拳の性質から考えるならだ。

だが、北斗神拳のみならず南斗元斗他あらゆる死闘から身に付けた珠玉ようなケンシロウの拳を、僅かながらとは言え、破壊力では凌いだのだ。

嬉しくはあった。誇らしくもある。南斗聖拳を究め、唯一人の真の伝承者を謳っただけの価値が証明できたのだ、と。

一方、ケンシロウは自分の拳を見た。複数の浅い傷があり、血が流れ出る、鋼を優に超える神の拳を見た。

「、、、」

が、スゥ〜、、、続く一呼吸で血は止まった。

 


「見事だ。あの時より速く強く、数もある」

そう言いながらケンシロウは拳の血を舐める。

次いでククッと再びいつもの構えに戻すと、口の中の血を吐き捨て、「もう一度やってみろ」と右手の指でシンを誘う。クイックイッ。

「フッ」

シンは嗤う。もう一度来いと? 見切ったということか?

葛藤があった。

挑発されたなら、その上から更に食い尽くしてやりたくなる。もう一度来いと言うなら、対策ができているのだろう?

抑えろ!これは罠のようなものだ。乗るな、乗るな!、、、、無理だな、行くぞ!ケンシロウ!!!

だが、氣が起こり、右の爪先が動き始める寸前でシンの自制が勝った。

そんな葛藤があったことを知られまいとシンが口を開く。

「怒れよ、ケンシロウ

「、、、」

「俺はかつて、そうよ、あの時とやらに、テメェの怒りで敗れた。テメェの怒りが見てえ」

怒りは北斗南斗の拳を強化する。特に北斗神拳にその傾向は強い。

「怒ったテメェを、ぶち破ってやる!先ずはあの時の負けを雪がせろ!」

ケンシロウは、、、右の親指で自分の鼻をピンと弾くような仕草をし、そして言う。

「今のお前に怒りは持てない。だが、怒りを超える力が、俺にはある!」

いよいよお前も来るか、、、ケンシロウ

「見せてみろよ、、ケンシロウ。怒りを超えたそれを見せてみろ!本気を見せてみろよ。それを凌いで引き裂いてやる!これも本気だ!」

 


師父よ、、俯瞰して見るのは難しい。やっぱり熱くなってしまう。それに、、このケンシロウを前に俯瞰なんて無理だ。目に映るのだけでいっぱいだ。