妄想北斗の拳

妄天の拳です。北斗の拳のイフストーリーを南斗聖拳シンを中心に妄想してます。

128.三面拳

バルバがシンの練習相手にと、紹介したのは三人の男だった。

ライデン。
南斗鳳鶴拳の使い手。
108派にそんな流派はない。この南斗宗家の中で練り究められた拳だ。名からし鳳凰拳と紅鶴拳の要素を取り入れているかと思われたが、実際は脚技の比率が高く、強いて言えば白鷺拳に近い。
シンも白鷺拳の修得には苦心していた為、ライデンとの組み手は有り難いものとなっていた。


ヒエン。
南斗鳥人拳の使い手。
これも108派にその名はない。

華麗な空中技を得意とし、知識だけとなっているシンの南斗水鳥拳の修得に協力してくれている。他の二人と違い親しみやすい性格であるが、シンはこの手の男が好きになれない。
見た目も良く、長い栗色の髪を靡かせながら素早く華麗に舞うその中に、時折微かな残虐性が見え隠れする。
しかし、そこはシンの気に入るところである。


ゲッコウ。
実力僅差と言われる三人の中で最強と謳われる無口な男。頭髪だけでなく眉毛、そして睫毛さえもが一切生えていないという、見た目厳ついが、言い換えればとてもミステリアスな男だった。
この男の拳は南斗月辵拳。シンの基盤となっている孤鷲拳に似た拳で、斬撃よりも刺突が中心の流派である。
南斗聖拳の飛翔軽功を完全にものにするには、やや重すぎる身体の大きさだが、反面その大柄な肉体で跳躍する姿は雄大でさえあった。


この三人、南斗三面拳は誰一人として本気のシンには及ばない。かと言って、もちろん常人の範疇に入る者たちではなく、南斗聖拳108派の中で言うなら六聖拳に準じた位の力はある。

三面拳のレベルに合わせての鍛錬となるが、だからと言って学びや気付きが得られないわけではない。寧ろ逆であった。
六聖拳や極一部の上位南斗聖拳の流派としての力は突出しているため、その各流派に適した者が技を継承した場合、この時点でほとんど全ての南斗聖拳を凌駕してしまう。
拳を速く繰り出すためのいかなる技術や工夫よりも、上位南斗聖拳の氣で強化された身体能力の方が、それらを大きく上回る。
これが流派の力で強さを得ただけと気付かぬ思い上がった拳士の成長を阻害してしまう。
故に彼ら三面拳の身に付けた流派には、足りない力を補おうとした技術、身体操作がふんだんに盛り込まれている。これを学び、真の南斗聖拳にて活かせるのなら、その効果は計り知れない。
シン自身もサウザーに倣い、遥か下の舞台にまで降り、これまで無関心だった格闘技や武術等の細かい技を学んでおり、南斗の力を全て封印し、筋肉と骨と、そして技術による戦いを続けていた。
有り難いことに、技量もさることながら、彼ら三面拳の氣による身体能力の高さも常人の域を大きく逸脱している。当初にシンが予想していたよりも多くの実りがあった。

 

「む、その足捌きは!?」
「知っているのか、ライデン」

三人の中では最も年長で、落ち着きもあり、また古今あらゆる武術に通じていると云われるだけの蘊蓄がある。
それがライデンだ。
とにかく武術に関しての造詣の深さにあってライデンほどの男をシンは知らない。性格的にも気が合うようであった。
剃り上げた頭部の後頭部から側頭部にかけて異様な刺青があり、その額には「大往生」と彫られている。その意味は問うていない。
更には手入れがなされたナマズ髭。実に奇怪な面様である。その見た目に反して実直な性格で裏表がない。
権謀術数渦巻く闇の組織南斗聖拳、それがシンのホームだった。そして南斗六聖拳の一つを会得し六将の一人となったシンへの妬みと諂い(ヘツライ)の数々。
ライデンの様な、自分よりも格上のシンを相手に良い意味で自分を貫ける男は組織の中では珍しい部類に入る。それが好感を持てた。
いや、これもシン自身の変化であろう。ケンシロウ戦での敗北から始まり、元斗皇拳聖穢のガルゴにも恥辱に塗れた惨敗をした。
それで尚、他の人間の助力で今ここに立っている。これでも変わらず傲慢なままなら、自分の力を試されたことのないガキと同じである。


その拳、南斗鳳鶴拳は白鷺拳と同様に脚で対象を切断することが可能だが、その動き方はまるで別物だった。

「ほいや〜!! 南斗鶴足回拳!!」
シン自身、シュウの南斗白鷺拳極意裂脚空舞を体験したことはない。いや、まともに観たこともない。
シュウは南斗六聖拳の重鎮であり、要のような男であったが、それでも一個の拳士。自身の拳その全てを曝け出す真似はしなかった。
故にシンが知る白鷺拳は大部分が書物から学んだ程度である。それであっても、ライデンの鳳鶴拳の脚技と白鷺拳の裂脚空舞の違いは明らかだった。
ライデンの脚技は膝下を白鷺拳よりも自在に操る。それ故に変化が多彩で読みにくい。だが、それが利点とばかりは言い切れないのが南斗聖拳同士の戦いとなる。
裂脚空舞は南斗白鷺拳の極意とは言え、その全てではない。脚技はどう工夫しても、手技ほどの速さや連続性を持つことができない面もある。
兵たちの陣を斬り崩す、若しくは格下の拳士を相手にするには圧倒的な優位を持つものの、それが同格の拳士となると、危険性も増す。言うまでもなく、攻めの脚そのものを破壊されるリスクが高い。
とは言えだ、白鷺拳そしてライデンの脚技は戦況を変える手段として有効なのは間違いがない。

クルッ!
ライデンの蹴りを腕で受けるつもりが、その蹴りが急な変化を見せ軌道を変える。咄嗟の状況故、シンは本気の力でライデンから距離を取った。
「、、、すまん、ライデン」
「いえ。しかし拙者がシン様と同格の拳士なら、後ろに退がったシン様をそれ以上の速さで追ったでござろう」
「そうだな」
と、シンは構え直す。右手前のシンプルな構えだ。攻め気は出さずにライデンを誘う。一方のライデンは常に本気である。シンもライデンの力に合わせているだけに、油断すればその拳足は命まで届く。

ブワッ!
ライデンが鳳鶴の構えを見せる。斜め上に開いた腕の手首は下方に曲げ、右膝を前方に腹部の高さにまで上げ、左足は踵を浮かせている。その姿勢でもピタリと静止しバランスが崩れない。
一見、隙だらけの様に見え、こちらが仕掛けた際には何をしでかすかが読めない。ライデンを誘い出すつもりが、向こうは向こうで待ちの状態である。
こうなるとどちらが先に仕掛けるか、になるが、シンとライデンが待ちに入った時、結果はわかり切っている。ライデンはこのまま数時間でも待つだろう。一方のシンは言うと、当然ながらそれは不可能。
よって、、、、
ダン!シンが出る!
必殺の間合いに入る前から虚の連撃で膜を張り、ライデンに攻め入る! 手は抜いているが、それでも一言で手加減とは言えないくらいの力は開放している。

この突きの弾幕に蹴りを入れようものなら、その蹴り脚を失うだけ。意表を突き、軸足で蹴り上げようとしても、この弾幕の前には結果は同じ。
広げた腕での外からの連突きや斬撃を試みても最短のこちらの突きが先に当たる。
「(どう出る?ライデン!)」

「ハ!」
軸足のみの跳躍でライデンが舞う! 後方に跳びながら宙返りし、、
「(そう来るか)」
先読みしたシンはライデンより高く、その頭上に跳んだ。
ライデンとしては、宙返りしながら下方のシンを裂気で斬り撃つつもりであったが、そこにシンの姿がない。しかし、風の流れと状況からシンの位置を判断し、そのまま更に回転し上部のシンを蹴る!

ガシッ!
シンはライデンの蹴りを受け止める。余裕がある。こう来ると読めていたからだ。
ライデンは両腕で着地、そのまま倒立の体勢から、一歩遅れて着地したシンに攻めかかる。
倒立した状態からの南斗聖拳の攻撃。南斗白鷺拳と共通している。先に述べた通り脚技には危険が伴う。ただし、今回は違う。始めから距離がある。手の間合い即ち至近距離で蹴りを放つのとは違う。
伝衝烈波のやや離れた間合いでもない。蹴りを、しかも全てを斬り裂く南斗の裂脚を使う絶妙の間合い。ライデンの巧さが光る。

「ちょいや!」
宙でライデンの隙を取りながらも、敢えて攻撃を控えたシンの油断につけ入った。迎撃の体勢を取らせる前に、裂脚で空を斬りながら寄る!
シンも全力を開放するなら、今やサウザー並みに達した足捌きで間合いを自由に調整できる。だが、ここは敢えてライデンの猛攻を受けねばならない。
ライデンの方はと言えば、悪く言えば手加減されている状態である。致し方ないとは言え、決して気持ちの良いものではない。故にもしもの事態もやむ無しの心構えがある。
自分程度に敗れる様なら南斗宗家の悲願即ち北斗神拳打倒の目ははじめからない。ライデン本気の裂脚であった。
それがいい。
その本気の殺気がシンに実戦の感覚を研がせる。生と死の端境を垣間見る。


「見事でござる」
「いや、お前もだ」
ライデンの裂脚はシンの黒い拳法着を斬りはしたが、肉体には擦り傷という形でさえ届いていない。
ライデン自身もシンがこちらの舞台に合わせた上で、それで尚ここまで完全に見切られていたと知っている。素直に脱帽する思いと、そしてもちろん悔しさもある。
この試し合いでの反省点が、またライデンの武に深みを与えるだろう。
もちろん、それはシンにも当て嵌まることだ。

「お前のおかげで、また白鷺拳が形になった。感謝する」
「何を言われます。シン様にとって拙者の鳳鶴拳や白鷺拳でさえ、一つの道具に過ぎませぬ。それが真の南斗聖拳
と、ナマズ髭を指で整えながら、挨拶もなく背を向けて去って行く。
無骨だが、不思議と無礼な気はしない。戦いの後には清々しい思いしか残さない。それがライデンという男だ。