妄想北斗の拳

妄天の拳です。北斗の拳のイフストーリーを南斗聖拳シンを中心に妄想してます。

99.

「俺はガルダと共に戦場を駆け、南斗神鳥拳を見ているが、拳士として向き合ったわけではない」

ガルゴの金色の闘気に変化がある。光と共に陰がある。金色と黒色が混ざり合っている。

「他にも南斗を名乗る男と対したことはあるが、どれも名だけが南斗の者たちに過ぎなかった。俺は真の南斗聖拳と戦ったことがない」

この流れは、、、
俺自身がボルツに言ったことと変わらない。

「故に初めての南斗聖拳、観ておく必要があった」
とガルゴは再びやや前傾した姿勢で両腕を垂らしたまま静かに歩み寄る。先と違うのは闘気の色。金色の光と黒い陰。
強く輝く頭上の死兆星が気にかかるが、シンは平静になるべく努めた。
ガルゴがこれまで南斗聖拳初見であるが為に様子見であったとしても、こちらはまだ大した傷も受けていない。
先にも思った通り、死兆星は勝つ為の動機付け。邪魔臭く光り輝くあの星を消し去ってやろう、と奮い立つ。

それにしても、、、完全な間合いで千首龍撃を躱したあの動きは、、?

自然とシンは構えを変えた。先ほどの攻撃と迎撃の両方に適した得意な双鷲の構えから更に右脚を前に出し、ボクシングでいうヒットマンスタイルに似た構え。
付け加えて言うなら、旧世界の大陸出身ムービースターであると同時に自身で流派を起こした拳法家でもあったリシャンロン(※わざと変えてます)の構えの方がより近い。
それはケンシロウが得意とする構えの左右逆であり、シンの基本流派となる南斗孤鷲拳のどの構えにも当てはまらない、いかなる状況にも対応しやすい自由度の高い構えだ。

夭折した伝説のムービースター、リシャンロンは拳法家としての才能においても非凡なものを持っていたが、生憎にして「斗」の拳には適性がなかったようであり、彼が南斗組織からの接触を受けることはなかった。
それでも彼が遺した数々の技術は南斗聖拳との流派としての格は天と地ほどの差があるにせよ、同じ人間の躰の動きを究めんとしたという意味においては決して軽んじることのできないものであった。
むしろ暗殺拳として実用と実利を求める南斗源流直系の孤鷲拳にとって参考にならないわけがない。
更に特筆すべきはリシャンロンの拳における精神性であり、それはある種の哲学とさえ言っていいだろう。
彼は「構え」というものは決して固定された「型」ではないと説き、相手や場面によって特定の形を持たない水のように柔軟な変化させるべきとした。

そう説いた本人が敢えて基本としたのが今シンが選んだ構えだったのである。

そして、あの北斗神拳にも数々の構えがあるものの、基本とする構えは本人の特性に合わせた自由度の高いものとなっており、そこはいかなる敵に対しても最適解で対応する北斗神拳らしいところと言えよう。
しかし、長兄ラオウは天が与えた類稀なるその強さ故に、自ら天を目指し覇道を疾走した。

相手に合わせて対応するのではなく、先ずは我ありきの激流の如き剛拳を押し出すが故にその構えも一言で言って豪快なものであった。

彼自身の奥義天将奔烈という比類なき剛強な拳からしても、北斗神拳暗殺拳という本質からはずれていたということになる。
実弟の天才トキは兄ラオウ剛拳に対処した結果か、正面からの激流を受け流す柔軟さを発揮しやすい構えであった。

だが本来は最も伝承者に相応しいと言われたほどの拳士であり、剛の拳をも会得していたことからその拳の汎用性と構えの多様性が窺える。

そして、、、

元々ラオウと同質の剛拳の拳士であった正統伝承者ケンシロウは、後にトキの柔の拳を会得したばかりか南斗や泰山の戦士たちとの度重なる死闘を経て、拳の質と順応性は研磨を繰り返されて来た。

しかし、それでも常時多用する基本的な構えはリシャンロンと同様の構えのままであり、リシャンロンとは左右が逆であるという点以外は酷似或いは同一と言ってもいい。
リシャンロンの場合は、相手に最も近く当てやすいリードジャブの役割を、より強い力を持つ右の利き手で為すとしている。これは他の大陸の拳法にも通ずるものである。

一方でケンシロウは利き手の右拳をクロスストレートや逆突きと言われるような打撃方法と同様に身体の捻りと体重移動の分の、より強い剛拳を打ち出すことを好んだ。
本来、北斗神拳の一撃必殺の秘孔点穴の秘術という特質を考えるなら、これに求められるのは拳直接の打撃力ではなく、拳の速さと正確さに絞られる。
しかし、北斗神拳と同等の強敵と対する際には経絡秘孔を極める拳そのものにも威力と重さが要求されるが故、より強い打撃を生む為に利き手を身体近くに置くというのも筋が通る。
もっとも、北斗神拳伝承者となれば実質的に利き腕というものは意味を為さない完全な体捌きを有しているのだが。
更に余談を付け加えるならば一説によると、、、

年若いケンシロウがたまたまTVで流れたリシャンロンのアクションシーンを見掛けて真似してみたところ、

ケンシロウも拳士であるが故にリシャンロンの構えや細かい動作の一つ一つが創意工夫を重ねて練り上げられた筋の通った説得力と実用性に富んだものであることを実感を伴って理解し自らのものとした、とされている。
その真偽は定かではないが、最後に疑問となるのがあの怪鳥音である。
ケンシロウ本人は自らこの特異な発声をすることにより、戦闘への意欲を高め集中力を増し加えていると考えられるが、それが憧憬の思いを込めてリシャンロンを自身に重ねていることによるのか否か、これも定かではない。

 

眠日月書房刊 『一度は憧れた銀幕のアクションスターたち』より引用し考察

 

 

シンがこの構えを取ったのは、決してケンシロウや映画俳優、そして他の流派を真似たからではない。
彼自身が行き着いた、少なくとも現時点で到達した最も柔軟で対応力のある構えである。
ケンシロウのようにスタトン、スタトンとステップはしない静の構えだが両方の踵を上げ更に柔軟な対応力を上げている。
彼は頭で考えて構えたのではない。時に南斗聖拳の「舞台」から降りて、それよりもずっと劣る筈の武術や格闘技を敬意を込めて学んで来た。学んで南斗聖拳と融和させて来た。
その知識と経験と実践その珠玉のような集合体が自然と彼にこの構えをさせていた。